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廿日市市新宮に鎮座の新宮神社境内に建立されている「徳山サト之碑」です。 |
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徳山里子弘化元(1844)年5月15日生まれ。大正丙辰(5年)73歳で亡くなりました。
(碑文はわたしには全文は読めませんでしたが)貞淑、温順であったが、辛酸を嘗め、倹素を極めた身であった。本村(平良村)に公益事業の為と金五百圓を寄贈された。(ことを顕彰してこの碑が建立されたようです)
大正5(1916)年12月平良村長勲八等■■■識
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境内の西側の隅に建てられた小さな石碑でした。徳山サトと女性に関する石碑は珍しいなと後ろに回り碑文を読もうとしましたが、長文でもなかったのですがなかなか読めませんでした。金五百■圓と刻まれているようですが読み解けませんでしたので500円としましたが違っているかもしれません。また村長の名前も溝か満、丁?九一かなともおもいますがわたしは読めませんでした。
大正5(1916)年といえばまだまだ男尊女卑が色濃かった時代ではないかと思うのですが、(今は廿日市市新宮になっていますが)平良地区では女性が活躍できる土地柄だったのだろうなと・・・ |
08.09.18裕・記編集 |