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廿日市市串戸にあったという「藤掛尾城の跡」をこの頁で取り上げました。
※現在、篠尾城の残り香はありません。城跡だったという木柱が建っています。 |
この地(廿日市市・平良地区と串戸地区を分ける)に、標高38mの藤掛山にありました。
当時は海に突出した岬状の絶壁を持った要害の地で、尾根は深い空堀で仕切られ、本丸・二の丸をもった藤掛尾城がありました。
城主は(厳島神主家の一族)小方加賀守で桜尾城の重要な西の砦だったそうです。
現在では都市計画路と藤掛ハイツ造成のため削られていますので、往時の面影はありません。 |
2007年交流ウォーク廿日市地区の時に教えていただいた七尾の諸城の一つ藤掛尾城跡・碑でしたが、この木柱碑だけでは何が何やらわからないから追加撮影をしなくてはと思っていたのです。
2008年9月立ち寄ってみて開発からは残された部分と、宮島方面をみた所を追加撮影し編集しました。 |
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2021年11月27日中國新聞(永井友浩記者)の記事で、ここで取り上げていた木柱は1999(平成11)年廿日市市観光協会などが建立していた事、そして既に腐食により撤去されていた事を知りました。
その代わりとして、
石碑(高さ1m×正方形各辺15cm)が串戸地区自治協議会と串戸歴史文化研究会によって廿日市市の補助金約17万円で造られ設置された事を知ったので追記しました。21.11.30.追記 |
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08.10.14裕・記編集 |