天王址・碑
  廿日市市串戸に建立されている「天王址・碑」です。
天王址(埃乃宮址:えのみやあと)
神武天皇東征の時駐蹕されこの地で御手を洗われた川ということで、御手洗川の名が付きました。野坂山林中で御衣(ぎょい)を召しかえられました、その際御衣を掛けられことから衣掛尾(みその尾とも称し、みそは御衣のこと)で御衣尾山(みそおやま)の名がつきました。
この天王址碑が建立されている串戸は神武天皇が(その頃は広田神社の近くにあった)宮内天王社の御戸を開き玉串を奉典し奉ったことにより串戸と名づけられたと伝えられています。
昔、串戸以南一帯を「合いの浦」と称していました(あひの宮址がある所からで、あひは埃のこと)。しかし、嘉禎年中(1235-1238)厳島神社外宮社(=地御前神社)の造営があったことで地御前村と名をかえました。埃乃宮址(天王址)は串戸の西端にありましたが、時々高潮に襲われたので、さらに西に玉座を遷され八坂神社(=宮内天王社がもともとあった所)の地を大幸と称していました。天皇がしばらく滞在したことで宮内と呼ばれるようになったとも伝えられています。
2007年9月交流ウォークで訪ねた廣田神社が宮内村・下組の氏神様ということや、神武天皇の東征際この地に住まわれたと伝えられていることや天王址碑が建立されていることを知ったのです。
天王址碑を探してみるかと思っていたのです。辿り着いた天王址・碑は画像でお解りのようにその存在自体が忘れつつあるのでしょう雑草がからみついている石碑でした。
古事記も日本書記も読んだことはないわたしですが、以前府中町の多家神社を訪ねたときに知った、神武天皇の東征時安芸の国に駐蹕され地は現在の府中町かと思ったのですが、異論異説がある古代の出来事(出来事自体の否定もあるようですが)をこの天王址碑を撮影しようとする顔に付いたクモの巣を取除きながら、古代へ思いを馳せたのでした。
 08.10.29裕・記編集

08.09.28撮影
広島県廿日市市串戸3-12

08.09.28撮影

08.09.28撮影
「天王址」と刻まれていることはわかりました

08.09.28撮影



「神武天皇伝承関連碑」編


「旧・廿日市町」編



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天王址碑
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