(大河小学校)井上桂園書:温故知新・碑

  南区旭の大河小学校に建立されている「温故知新・碑」です。
※書家・井上桂園の書です。
(おんこちしん)
温故知新:
『論語・為政篇』子曰、温故而知新、可以為師矣。(故きを温めて新しきを知る、以って師と為すべし)昔の事を調べて、そこから新しい知識や見解を得ること。ふるきをたずねて新しきを知る。
(いのうえ けいえん)
井上桂園:
1903-1997
書家、広島大学教授。岡山県吉備郡薗村(現・倉敷市真備町市場)生まれ。本名・政雄。岡山師範学校本科二部卒業。
1922(大正11)年(史上最年少で)文検習字科予備試験合格。1939(昭和14)年広島高等師範学校助教授、文部省委嘱で国定教科書執筆(〜1943)。1945(昭和20)年8月6日昭和町の自宅で被爆。1949(昭和24)年新制広島大学教育学部教授兼務。1951(昭和26)年小中・高の検定教科書執筆。1972(昭和47)年全国大学書道学会会長、日本書道教育学会の名誉会長。
2006年交流ウォーク探検隊で訪ねたときに、井上桂園の書ですよと教えていただいたのですが、撮影しただけでそのままになっていました。
国泰寺で「広島の三筆」(江戸時代広島藩における著名な能書家)の一人林為龍の書の頁を編集した時、大河小学校でみた碑の書が現代の書家の書だったなと思いだして、今頃になりましたが、井上桂園を調べこの頁を編集しました。
08.11.07裕・記編集

06.09.20.撮影

06.09.20.撮影










































昭和59年=1984年

         大河小学校略沿革
1884 明治17年 大河簡易小学校創立、大河山根に2階建ての木造校舎が完成
1891 明治24年 大河尋常小学校と改称
1904 明治37年 広島県師範学校代用附属小学校大河分教場と改称
1911 明治44年 大河尋常小学校と改称
1914 大正3年 大河尋常高等小学校と改称
1929 昭和4年 広島市大河尋常高等小学校と改称
1941 昭和16年 広島市大河国民学校 と改称
1947 昭和22年 「広島市立大河小学校」
資料は大河小学校の資料を参考にしました



「その他」編



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(大河小学校関係)
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(校内の)井上桂園書:温故知新・碑





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