(青崎新開)岩樋門跡

  南区向洋本町に過って造られていたという「(青崎新開)岩樋門跡」を取り上げました。
この岩樋門の工事は、1773(安永2)年に着工し、岩盤を人力による金槌でくり貫くことで施工され3年間を要し、1776(安永5)年に完成したと伝えられているそうです。
施工した花咲屋は、のちに岩樋の姓にあらため、岩樋家には安永二年日付の浅野藩役・伊藤某からの謝文書が保存されていましたが原爆時の混乱で紛失し詳細がわからなくなり、藩より恩賞で賜った酒盃(皮製で漆仕上げ・十盃)も進駐軍に没収され失ったそうです。
『ここには青崎新開が出来た頃岩盤をくり貫いて樋門が造られた所で(岩を貫通させた)花咲屋(後に岩樋と改姓した)のことがいまも伝えられている』と“みなみ区回遊ルートMAP”に紹介があったので立寄りました。
現在は北北東約200mの処にある青崎ポンプ場の放流口になっていますので、昔の面影はありません。
根際が公園になっており、公園名板で向洋本町第一公園という小公園でしたので、この青崎新開・岩樋門跡を一緒に編集していましたが、2010年1月周りが少しわかる画像を追加し、分離独立した頁にしました。
10.02.06更新   09.07.19裕・記編集

09.05.03.撮影
広島市南区向洋本町5

09.05.03.撮影

09.05.03.撮影
  注意  この施設は、青崎排水ポンプ場の放流口です。ポンプ運転時には、水の勢いで押し流される恐れがあり、危険ですからこの附近の河川内へ立入らないで下さい。              昭和61(1986)年3月 広島市

09.05.03.撮影



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