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南区青崎の向洋墓地に葬られている「松田重次郎のお墓」です。
※初代社長と云われてもいますが、初代社長は(二代目)海塚新八です。 |
松田重次郎(まつだじゅうじろう)1875-1952 |
実業家、(実質的な)マツダ創業者。安芸郡仁保村生まれ。14歳から大阪の鍛冶屋で修行、機械の製作技術習得。呉や佐世保の海軍工廠などで勤務。
1908(明治41)年松田式ポンプを発明、1915(大正4)年松田製作所を設立。
1920(大正9)年コルクを製造する東洋コルク工業として広島市に創立に参加。
1921(大正10)年社長。
1927(昭和2)年社名を東洋工業にあらため工作機械メーカーに転身。
1931(昭和6)には3輪トラックの製造を開始し自動車業界に進出した。
1951(昭和26)年会長。
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マツダの社名は西アジアの神アフラ・マズダと、松田重次郎の姓にちなむ。 |
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マツダミュージアム展示 |
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比治山公園で、圓鍔勝三作の松田重次郎翁像をみて頁を編集しようと重次郎のことを調べたとき、向洋墓地にお墓があるという事を知ったのですがなかなか行けずにいたのです。今(2009年5月)回交流ウォーク探検隊で青崎・堀越を遊歩し、疱瘡神社に行くということでしたので、重次郎のお墓があると聞く向洋墓地にも立ち寄るように話しました。墓地は想像以上に広く、土曜日でしたので家族でお墓参りに来られている人たちもおられ、松田重次郎のお墓を御存じないですかと伺うとすぐに返事がきましたので向洋墓地では有名なのだなと思いました。広島湾からマツダの工場群が見下ろせる高台に松田家のお墓はゆったりとした広さの墓地でした。 |
2015年9月マツダミュージアムを見学しました。松田重次郎に関する展示があるかと思いましたが、写真だけの紹介でしたがそのパネルを撮影しましたので、この頁に加えました。 |
15.09.04.更新 09.08.01裕・記編集 |