(南区堀越)風呂屋の煉瓦煙突
  南区堀越で営業している銭湯「竹の湯」です。
※2011年営業を止めたそうです。
日本特有のお風呂が「銭湯」で、平安時代、京に現れたのがはじまりと云われているようですね。
本格的に広まったのは江戸時代で、「湯屋」と呼ばれ、初期は蒸気風呂だったそうです。また、当時の銭湯は「入れ込み湯」と云われる男女混浴だったそうです。明治時代になると外国への配慮から混浴は禁止されましたが、銭湯そのものは都市化の進展や近代の衛生観念の向上とともに隆盛を極め、第二次世界大戦後、本格的に都市人口が増大すると、至るところで銭湯が建築されました。しかし、(日本が)高度成長期をむかえプライバシーなる洋語に押され?個々の家で風呂を設備する経済力と云うものができ、内風呂が普及してき、年々銭湯はその数を減らしてきていると聞きます。
ふろや
風呂屋
1)料金をとって人々に入浴させる所。銭湯。湯屋。
2)浴室。浴場。
せんとう
銭湯
料金をとって一般の人々を入浴させる浴場。ふろや。湯屋。公衆浴場。
うちぶろ
内風呂
2)自分の家にある風呂。
1)母屋の内部にある風呂。
*広島県知事告知料金(2010年現在)大人 12才以上 400円、中人 6才〜12才(小学生) 150円、小人 6才未満 (未就学児) 70円
交流ウォーク探検隊で訪ねた堀越で出合った煉瓦の煙突でした。
みた煙突は経年劣化からか強度不足になったのでしょう鉄製部材で補強されていました。
現在は恐らく石油ボイラーになっていることでしょうから、煉瓦積みの煙突などは役割を終え、段々と無くなるつつあるのだろうと思いましたので、この煉瓦積みの煙突を撮影しました、お風呂屋さんの煙突です。
亡きオヤジが(商店街で)商売をしていたからでしょう、(わたしは)子どもの頃から銭湯に行っていました。
いつ内風呂ができたか思い出そうとしていますが、思い出せない歳になったようです。銭湯に行っていた昔々を懐かしく思い、この頁を編集する事にしたのです。
 10.09.02裕・記編集

10.01.09.撮影
広島市南区堀越1-12-6 竹の湯

10.01.30.撮影

10.01.30.撮影

10.01.30.撮影



「建物など」編



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「(南区)堀越・向洋地区」編





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