(和風建築)澤田家
  南区向洋本町に建てられている「澤田家」です。
広島市南区区政振興課発行「みなみ区回遊ルートMAP5」で、『伝統建築の澤田家:1878(明治11)年頃の伝統ある日本家屋で、先祖の澤田七右衛門※は、仁保嶋村の戸長を務めた人です』と紹介していますので、みなくてはと思っていたのです。
※  仁保村志をみると、明治10(1877))年6月〜明治11(1878)年11月向洋の副戸長。
明治11年12月〜明治21(1888)年5月向洋・戸長をされたようです。
澤田家宅をみた時、懸魚がある民家だと思ったのです。
江戸時代は民家に懸魚を付けることが許されていなかったとも聞き、特別に許された例としては、代官の下で村民の世話役をしていた庄屋の家屋敷に限られていたとも聞きます。この澤田家は、明治の家屋ですから制限はなかったと思うのですが、戸長をされるだけの家柄から懸魚を取り付けたのではと(わたしは)思ったのです。
玄関上の懸魚は二重懸魚で、住居部分の懸魚は梅鉢懸魚となっているようでした。
澤田家をみた時、外壁の二階部分が黒くなっていることに目が行きました。戦時中、国会議事堂や広島地方気象台、福屋百貨店などの外壁が(空襲に備え)黒く塗られたと云う事を資料で知っていたから、(家人にお聞きしたわけではありませんが)この澤田家もその名残かなと(わたしは)思ったのです。
なお、懸魚については勉強不足ですので、懸魚の名称は確かではありません。
 10.09.07裕・記編集

10.01.09.撮影
広島市南区向洋本町18-18附近

10.01.09.撮影
懸魚
懸魚(げぎょ)
火伏せのまじないとして、屋根の妻におき破風(はふ)の下にたらし、棟木(むなぎ)や桁(けた)を隠す飾板。破風の拝み下のものを懸魚と云います。懸魚には、五角形の梅鉢懸魚、猪目(いのめ)の形の猪目懸魚、三花(みつばな)懸魚などがあります。
水に縁のある魚の形をした飾りを屋根に懸けて火伏のまじないとしたのが始まりと考えられるそうです。魚の身代わりを屋根に懸けることが「水をかける」という意味にも通じ、これが魚に由来する呼び名の語源だそうです。
二重懸魚
猪目懸魚や蕪懸魚の変形意匠だそうで、ここ澤田家(玄関上)の懸魚はこの様式だと(わたしは)思ったのですが。
六葉(ろくよう)
懸魚の上部に見られる六枚の葉を模様にした六角形の飾り



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