(鏝絵がある)土蔵
  南区向洋中町の土蔵に施された「鏝絵」を取り上げました。
ここ向洋地区は土蔵が多いと「みなみ区回遊ルートMAP5」で云っているように、交流ウォーク探検隊でぶらり散歩した時に多くの土蔵をみてきましたが、「鏝絵」がある蔵は(ここ向洋地区では)みてこなかったのです。
向洋地区の土蔵をもれなくみたわけではありませんが、鏝絵が施された土蔵をみましたので、珍しいと撮影しました。
道路が狭く鏝絵を正面から(わたしの)デジカメでは巧く撮影できませんでしたので、はっきりしたことは分かりませんが、「鶴」が(青く色が付けられたバック=大空)舞っているのかな?と思ったのですが。
こてえ
鏝絵
江戸末期から昭和初期にかけて行なわれた庶民文化の一つで、民家の土蔵などの壁に左官が施主へお礼と家の幸せを願い白壁に左官鏝を使い描いた「左官絵」です。
昔、同じ仁保村であった、仁保地区も多くの土蔵が残っているのですが、仁保では鏝絵を見ていませんでした。ここ向洋地区で一箇所ですが鏝絵をみました
 10.09.22裕・記編集

’10.01.30.撮影
広島市南区向洋中町9 附近

’10.01.30.撮影

’10.01.30.撮影



「建物など」編



広島ぶらり散歩へ
(三階建ての)土蔵
(鏝絵がある)土蔵
(土蔵を改造した)お好み焼屋
(トタン板で補修された)土蔵


「(南区)堀越・向洋地区」編





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