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安芸区畑賀に鎮座している「曽我神社」です。 |
祭神:須佐之男命
農業の守護神として永正年間(1504-1521)に勧請 |
[曽我神社建立及由来] |
大同年間(806-810)勧請 (*廣島縣神社誌と違っています)
本殿は、大正15(1926)年9月の大水害に流失、昭和2(1927)年に約150m上流の当地に現社殿を建つ、旧社は横穴式古墳の上に神殿を造営してあったとの記事あり、また、曽我氏の祖、戦につかれ木瓜を食して勢いを増し勝ちしとの伝えあり。 |
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享保四(1719)年已亥九月 願主:庄屋・儀兵衛尉、四所組頭・八兵衛尉他 |
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須佐之男命は、牛頭天王(ごずてんのう)ともいわれます。
牛頭天王は、印度ではお釈迦様が悟りを開かれた「祇園精舎」の守護神とされました。祇園社の紋が胡瓜の輪切りにした時の模様のようですので、この曽我神社でも、祭り当日にはキュウリを食べてはいけないと伝えられているそうです。 |
水谷峡に行く途中に位置するこの曽我神社を地図でみましたので、参拝しようと思っていました。
以前、甲越峠の事を調べているときに、『古代山陽道は水谷峡の曽我神社から登り笹ヶ峠を通り当時国府があった府中(村)に通じていました』とありましたので昔はここら辺りから府中への道があったのかと思いましたが、拝殿に奉納されていた絵馬に記述してあった曽我神社建立及由来をみて違っていました。
それは、1927年以前は≒150m上流に社殿があったことを知りましたのでもう少し上流だったのかなと思ったのでした。 |
09.12.19裕・編集 |