龍水山 松笠観音寺
  東区戸坂山根に建てられている「龍水山 松笠観音寺」です。
松笠観音寺は、天文年間(1530年ころ)安芸国守護・武田氏の家臣だった戸坂入道道海(へさかにゅうどう どうかい)によって開基されたと伝えられています。
しかし、銀山城は大内・毛利両氏の軍勢に攻められて落城、戸坂城主であった道海も1540(天文9)年自刃し観音堂も道海と運命をともに荒廃したと考えられます。時代は移り江戸時代・1673(寛文13)年比治山勝楽寺栄尊法師を願主として再興されています。後に毛利氏の使僧や、豊臣秀吉の側近だった安国寺恵瓊ゆかりの不動院から庇護されたと「不動院文書」などの資料に僧侶が松笠観音寺の住職として遣わされ住持したことが記録されていますが、五世以後は無住となりながらも真言宗福王寺に頼りながら明治維新を迎えました。
しかし、無住で荒廃した松笠観音寺を1972(昭和47)年からこの地・戸坂の新中妙譲法尼が境内地の堂守と祭祀を担い、現在、(松笠)山のお寺を奥の院、戸坂の麓のお寺を本院として上下を結び真言密教宗祖弘法大師、歴代松笠観音寺先師の志を継いでいるそうです。
3年ほど前からになりますか、わたしはこのお寺の根際をしばしば歩いていたのです。
「芸藩の三筆」林為龍を調べていた時、このお寺に林為龍揮毫の扁額「松笠山」が残されていることを知ったのです。拝見したいと、住所をみると根際を歩いていた所だったのですが、お寺と思われる建物があったか?な〜思いだそうとしましたが心当たりはなかったのです。住所を頼りに訪ねてみたのです。寺銘板が掲げられていました、しかしどう見ても民家の造りでした。根際には新中鍼灸院の表示板も掲げられていました。お参りされる信者の方を考えられ松笠山からここ戸坂山根にお寺を移されたのだろうと思い、インターフォンのボタンを押しました。ご住職は鍼灸の先生でもある新中先生のようでした。
09.08.24裕・記編集

09.06.11撮影
広島市東区戸坂山根1-25-61

09.06.11撮影
本堂と御本尊

09.06.11撮影
玄関に掲げられている、林為龍揮毫の扁額『松笠山』の拓本



広島の神社仏閣」編



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龍水山松笠観音寺
  林為龍書の扁額「松笠山」 





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