原村忠魂碑

  安佐南区西原の冬木神社に建立されている「(原村)忠魂碑」です。
日清戦争、北清事変、日露戦争、シベリア事変、各戦役の忠魂碑として1932(昭和7)年11月に建立されました。
資料によると、第二次世界大戦後、「忠魂碑」の文字がセメントで塗りつぶされ荒廃し放置されていたそうですが、連合国の占領状態が終わり、1967(昭和42)年8月地元有志の方々により、改修工事がなされ、その際、支那事変、太平洋戦争の戦死者を合祀して慰霊祭が執り行われたそうです。
忠魂碑
(揮毫者の名前は塗りつぶされたままです)
側面:昭和七年十一月原村村民建之
※西比利亜=シベリア









西




















祇園町誌には、日露戦争1名、シベリア事変1名、日中戦争・太平洋戦争131名(軍人67名、軍属12名、満蒙義勇隊1名、動員学徒37名、挺身隊7名、国民義勇隊6名、徴用工1名)の戦死者の氏名が記載され、原爆犠牲者は動員学徒37名、挺身隊7名、国民義勇隊6名、徴用工1名、軍人6名、軍属5名の62人だそうです。
支那事変とは(現在は呼称せず辞書などでは)日中戦争と表記しています。1937(昭和12)年7月7日盧溝橋事件にはじまり、1945(昭和20)年8月15日、日本の無条件降伏にいたるまでの日本と中国の戦争というとらえ方だからのようですが、支那という呼称は差別用語だという説もあるようです。
旧祇園町であったこの原村の忠魂碑は一時荒廃しても歴史の証人としていまも残されわたしたちに語りかけていると思うのです、次の世代にも受け継いでいかなくてはならない「いしぶみ」とわたしは思っています。
09.06.12裕・編集

09.05.12.撮影
広島市安佐南区西原6-13-7 冬木神社

09.05.12.撮影

09.05.12.撮影

09.05.12.撮影



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