山本村忠魂碑

  安佐南区山本の山本小学校前バス停根際に建立されている「(山本村)忠魂碑」です。
資料によると「台湾討伐1名、北清事変1名、日露戦役5名、第一次世界大戦1名」の各戦没者の忠魂碑として1935(昭和10)年建立されたものだったそうです。
第二次世界大戦後、忠魂碑撤去の指令があり山本地区住民は苦慮し忠魂碑の文字をセメントで潰し「平和の塔」としてこの碑を残し、1967(昭和42)年セメントを除去し建立時の忠魂碑として修復すると共に日中戦争、太平洋戦争の戦没者を合祀したそうです。
         忠魂碑       陸軍大将鈴木荘六書   
発起者 帝國在郷軍人會山本村分會      昭和10(1935)年3月10日 山本村民建之
祇園町誌によると、
日中・太平洋戦争戦死者は、「軍人33名、軍属1名、国民義勇隊2名、徴用工2名、勤労報国隊2名、動員学徒24名の合計64名」で、「軍人1名、軍属1名、国民義勇隊2名、徴用工2名、勤労報国隊2名、動員学徒24名の32名の方々が原爆による死没者」だそうです。
旧・山本村にも忠魂碑が残されていることを資料で知りましたので、訪ねたのです。
バス停・山本小学校前と資料にありましたので山本小学校を目標に行きましたバス停は学校からは少し離れて(エル山本というスーパーの)南側の道路にありましたが、忠魂碑はすぐにわかりました。
09.06.15裕・編集

09.05.12撮影
広島市安佐南区山本1−9  山本小学校前バス停根際 

09.05.12撮影
忠魂碑と山本小学校前バス停、(左後ろに:スーパー・エル山本の広告塔が写っています)

09.05.12撮影

09.05.12撮影
すずき そうろく
鈴木荘六
1865-1940
陸軍大将。越後国(現・新潟県)生まれ。
1918(大正7)年陸軍中将。1919(大正8)年陸軍第五旅団長(広島の)。第4代帝国在郷軍人会長(1931-1937)。



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