藤井(東兵衛)先生碑

  安佐南区長束に建立されている「藤井(東兵衛)先生碑」です。
藤井東兵衛(ふじいとうべい:1827-1892) 
  藤井東兵衛は広島藩儒でした。名を謙、通称が東兵衛、号を龍淵といいました。藩儒の金子霜山について学び、修道館の授義に任じられ、その傍ら藩主・浅野長勲の弟の侍講も務めた。明治4(1871)年藩学が廃止となりました。明治維新当時学制のない時代に教育機関として、私塾が各地にでききました。当時の長束村においても明治7(1874)年教育の先駆者である藤井東兵衛によって「蓮光寺」内に「果能舎」が開かれました。
長束村は勿論、近村からも先生の教育を受けようと入舎するものが多く、その人々は明治時代の先覚者となっていきました。この「果能舎」が長束小学校の前身です。
また、東兵衛の子(長男)藤井正賢も教育者であり、村長もされました。更に、その子息3名の内末子の景三は医者で森田家の養子となり、地域医療に貢献されました。
広島市市教育委員会発行『広島の石碑』に掲載がありこの碑のことを知りましたので訪ね撮影しました。
頁としてなかなかまとまりませんでしたが、藤井東兵衛に関する詳しい資料が、祇園西公民館の資料にありましたので参考にしてまとめました。
10.02.09裕・記編集

08.12.20撮影
広島市安佐南区長束3-30-1

08.12.20撮影
 建立:昭和弐(1927)年丁卯八月中浣 ※中浣(ちゅうかん):一か月を三分した中の10日。中旬

08.12.20撮影
碑裏:「寄付人名 不順」 河原榮次郎(以下80余のお名前が刻んであるようです)



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