太田三益碑

  安佐南区祇園の恵美須神社北側常夜燈根際に建立されている「太田三益碑」です。
太田三益(おおたさんえき) 
(安佐郡)祇園村南下安生れ。先代から医師でした。その頃の医師は殆どが漢方医でしたが、三益は更に西洋医学を学び新法式の医薬と治療法を勉強し、「医は仁術なり」を身をもつて実践しました。
三益は医者とともに、祇園村民の教育について意を注ぎ、[使由舎](現在の祇園小学校の前身)を明治7(1874)年創立して子弟教育に当たり、安佐郡郡教育の先駆者でした。また、非常に親思いで母に心配をかけないためには好きな酒も止めてひたすらに親の心を安めようと心がけ、三人の姉妹には悌愛をつくし、その徳行はひろく村民の模範で、当時の郡教育会や広島県知事から表彰を受けました。三益の徳と業績を称えようとして安神社前に「太田三益碑」が建立されています。
安佐南区区政振興課発行「あさみなみ散策マップ」にこの太田三益碑の根際の常夜燈が紹介されているのです。以前常夜燈を見た時(画像を見ていただくととわかると思うのですが電柱の控柱に隠れるようになっていますので)気がつかなかったのです。
碑文の撰が山田養吉(十竹)でしたので何とか碑文が読めないかと思いましたが、刻まれた文字が薄くなっているだけではなく(わたしの)漢文力がなく多くの部分が読めないという中途半端のままですが、掲載しました。
10.02.15裕・編集

09.12.01撮影
広島市安佐南区祇園2-17  (恵美須神社北側常夜燈根際)

09.12.01撮影

09.12.01撮影
碑益三田太














































之於






























也來


























































































便































































西





































































廿








































09.12.01撮影
山田養吉の撰文は明治32(1899)年12月ですが、碑の建立は、明治39(1906)年11月と側面に刻まれていました



「広島ゆかりの人たちの石碑など」編



広島ぶらり散歩へ
(祇園二丁目の)常夜燈
太田三益碑
旧・太田醫院の外壁飾り


「旧(安佐郡)祇園町」編





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送