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安佐南区祇園の大下学園祗園高等学校に建立されている「大下龍太郎翁・胸像」です。
※現在、経営が変わりAICJ中学・高等学校となっていますが、この胸像校内の以前と同位置に建っています。 |
大下(おおしも)龍太郎翁は大愛至誠の人であった翁の残した植林水道育英の三太事業も郷土に対する至誠から生まれた先見遠謀にほかならない。
女子教育への悲願から大正14(1925)年4月此の地に女子学園を建設し日夜その充実向上に心血を注いだ。昭和26(1951)年1月6日82歳で長逝したが翁の大愛は今なお多くの人々の生活をうるおし導いている。ここに学園関係者一同郡内町内の有志が相はかってこれを建てる。 昭和36(1961)年1月 |
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2009年交流ウォーク探検隊で訪ねたときに、気が付き撮影しました。
今はAICJ中学校・高等学校となっていますが、この地に1925(大正14)年祗園高等女学校を創設した大下龍太郎の胸像でした。またサインから(荒川)明照東京芸大名誉教授の若き日の作品ではと(わたしは)思うのです。 |
10.01.05裕・記編集 |
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09.12.01撮影 |
広島市安佐南区祇園2-33-16 (AICJ中学校・高等学校) |
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08.10.04撮影 |
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昭和35(1960)年 明照 作 |
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あらかわあきてる
荒川明照
(1931- ) |
彫刻家。東京都浅草生まれ。1954(昭和29)年東京芸術大学美術学部油絵科卒業。1955年専攻科卒業後、同大学美術部副手、絵画・彫刻の制作活動。1983(昭和58)年同大学美術部教授。院展・彫刻部奨励賞同白寿賞受賞4回、院友(1955-1960)、新樹会展出(1960-1973)、国画会・彫刻出品。 |
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