築嶋勝右衛門墓

  安佐南区西原の明福寺に建立されている「築嶋勝右衛門墓」です。
築嶋勝右衛門 最高位小結 寛政3(1791)年正月11日没、
江戸時代中期(安永・天明)ニ廣島頭書関取等トシテ活躍功績ニヨリ築嶋姓ヲ賜ル
明福寺境内ノ墓地拡張ニ協力シ左東面位置ヨリ九米移動、平成8(1996)年9月4日 築嶋邦操 記
※広島出身で要石(かなめいし)勝右衛門で「築島」「掛島」「広島」とも名乗ったそうです。
安佐南区区政振興課発行「あさみなみ散策マップ」をみて明福寺に、築嶋の墓がある事を知りましたが、広島市教育委員会の資料をみていた時に、築嶋勝右衛門の墓の項目もあり興味をもったので訪ねたのです。
それは、相撲取りといえば南区の真幡神社で見た「三代十郎兵衛」を知り頁を編集していました、その十郎兵衛とほぼ同時代の築嶋なのだと思い訪ねてみなくてはと思ったのです。
10.05.26裕・記編集

10.02.12撮影
広島市安佐南区西原8-30-7 明福寺

10.02.12撮影






























































寛政3年=1791年

10.02.12撮影



広島の神社寺院」編



広島ぶらり散歩へ
原洞山・明福寺
  築嶋勝右衛門墓


「旧・祇園町」編





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送