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安佐南区祇園の祇園北高校西側にある「龍石」です。 |
この石は「芸藩通志」にも記載されている古くからある名石で、龍に似ていることから「龍石」と云われています。昔からこの附近を龍原といっていました。(元々祇園北高校の校庭の位置にあったが、校地造成に伴い現在の地に移されたそうです)
武田氏※は、国家安全と長年にわたり戦死した武士たちの霊を弔う事を思い立ち、寺の建立地を探していたところ、二羽の鶴鳴き合いながら飛んできて、この「龍石」にとまるのを見ました。、翌日もまた同じ事を繰り返したので、「これこそ霊鳥の知らせである」としてこの地「龍原」を寺の建立の地に決め、1459(長禄3)年に寺を建てたと伝えられています。本坊・佛護寺及び龍原十二坊を建立しました。 昭和60(1985)年4月 |
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祇園町誌には武田義信と記述があるそうですが、安芸武田氏の中に義信という人物がいたかもしれませんが、安芸武田初代氏信〜九代信実までにはいませんので、(わたしは)武田氏としました。 |
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銀山城の落城後は、佛護寺(現在・西本願寺広島別院)などは、西区寺町などに移っています。 |
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交流ウォーク探検隊の時遊歩の参考にした安佐南区区政振興課発行「あさみなく散策マップ」に案内がありましたので訪ねたのです。竜というよりもモスラという蛾姿の怪獣になる前の幼虫の時のような格好だな〜とザ・ピーナツが歌った♪♪モスラ〜やモスラ〜・・・というメロディーを思い出してしまいました。
説明板を読むとこの辺りにも昔は鶴が(渡り鳥として?)飛んできたいたのだろうな〜と、中区鷹野橋辺りに浅野の殿様がタカ狩りで鶴などを捕りに来たとあったと書いた説明板の事も思い出しました。 |
09.05.05裕・記編集 |