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安佐南区祇園に鎮座している「熊岡神社」です。 |
熊岡神社由来 環境庁 広島県 |
熊岡神社は、「窪田(くぼた)の八幡さん」といわれ、もともとは「帯中津日子命(たらしなかつひのみこと)」「息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと)」の二神を祭っていましたが、1504(永正元)年安芸国の守護職・武田太郎左衛門元繁(もとしげ)が、(武田山)銀山在城の時、鎌倉の鶴岡八幡宮より「品蛇和気命(ほんだわけのみこと)」を勧請合祀し、銀山城の守護神として、武田家一門の篤く崇敬した神社です。 |
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帯中津日子命=仲哀天皇(ちゅうあいてんのう:第14代)熊襲征討におもむき筑前橿日宮で没したという |
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息長帯日売命=神功皇后(じんぐうこうごう:仲哀天皇の皇后)天皇の死後、新羅に出陣、凱旋ののち筑紫の地で応神天皇を出産。 |
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品蛇和気命=応神天皇(おうじんてんのう:第15代)仲哀天皇の皇子。母は神功皇后。 |
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交流ウォーク探検隊でJR古市橋から(広経大近くに行って)JR下祇園へ行くコース予定でした、この熊岡神社を探し訪ねたところでそろそろ昼食時になりましたが、お参りしてからということになりました。
神社由来板が設置され1504(永正元)年創建の神社ということはわかりましたが、社殿、境内をみましたが、神社の古い歴史を感じさせてくれるいしぶみなどを(わたしは)探せませんでした。社殿等も近現代に再建されたものと思われるもので鉄骨造りとはいえ神楽殿もありましたがそれらの記述は説明板にありませんでした。 |
09.05.05裕・編集 |