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安佐南区祇園に鎮座している「新羅神社」です。 |
新羅三郎義光(1045-1127) は、源頼義(よりよし:985-1078平安中期の武将)の第三子で義家(1039-1106)の弟で新羅明神(大津三井寺)の社前で元服し、新羅三郎と云い、弓・馬巧みで、又武名高く左兵衛督で京都に宿し後三年の役に義家の苦戦を聞き、官許を得ずに救援に赴き解官された。のち東国を経営、武田氏佐竹氏小笠原氏などの祖となった。官位は従五位上で、常陸介・甲斐守を経て刑部少輔になっている。
藝藩通誌によると、村社 新羅神社 祭神 新羅三郎義光霊 |
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新羅神社の創建は、鎌倉時代後期の正安2(1300)年に安芸国守護職であった武田信宗(のぶむね:?
- 1330)によって甲斐から勧請されました。祭神には清和源氏の武田氏の先祖である源義光(新羅三郎ともいい平安中期の武将)を祀った神社で「新田(しんだ)八幡」とも伝えられています。銀山城落城後は衰微の一途をたどりましたが、その後は里人が氏神として祭ってきました。 |
「新羅」という文字をみたとき、「しらぎ」(慶州を都とした朝鮮最初の統一王朝:356-935)のことを思い、朝鮮半島と何がしかの繋がりがある神社かと思ったのです。南区役所区政振興課発行「あさみなみ散歩マップ」をみると読み方が「しんら」ということがわかりこの神社の由来も源義光から来たことを知りました。この地区が武田氏ゆかりの土地ということをすっかり忘れているというか武田氏の歴史も知らぬままぶらり散歩したことにあるのですが、まち歩きでまた一つ知ったということを恥ずかしくもあり、うれしく思ったこの新羅神社でもありました。 |
09.06.08裕・編集 |