(八木村)征清紀念碑

  安佐南区八木の八木小学校校内に建立されている「(八木村)征清紀念碑」です。
この石碑は、1894(明治27)年〜1895(明治28)年の日清戦争に勝ったことを紀念(記念)して、1897(明治30)年3月に八木村の人々によって建てられたものです。
この石碑は、日本が歩んだこれまでの歴史における一つの事実を物語っています。この事実をもとに他の国と戦争していたころの社会の様子や歴史などを学習し、二度と戦争が起こることのないよう、平和の大切さについて考えましょう。
1992(平成4)年6月広島市教育委員会
(にっしんせんそう)
日清戦争:
1894(明治27)年朝鮮の支配権をめぐって日本と清国との間で起こった戦争。
朝鮮で起こった甲午(こうご)農民戦争鎮圧のため清国が出兵したとき、対抗して日本も出兵、豊島(ほうとう)沖で開戦。日本は平壌の戦いや黄海の海戦などで勝利を収め、翌(明治28)年下関で講和条約を結んだ。
2010年10月28日JR上八木駅で降り、八木用水を下ってみていこうと思っていたのです。そろそろ上八木駅だなと思いながら外を見ていたのです。八木小学校が見えた処で、2基の石柱が見えたのです。下車後、八木用水をみる前に八木小学校に立寄り職員室で、この石碑をみに行く許可を得てみたのです。以前校門根際で見た教育委員会設置の説明板と同じ形式の説明板が見え、近づくと「征清紀念碑」でした。正門根際の(多くは日清戦争、北清事変、日露戦争の三戦役碑ですが)北清事変からはじまる三戦表忠碑がなぜだろうと思っていましたが、前の戦役・日清戦争のこの碑が単独で建立されていたことだったからという事もわかりました。
 11.01.13裕・記編集

10.10.28.撮影
広島市安佐南区八木9-17-1 八木小学校

10.10.28.撮影
山■分割植樹碑 と 征清紀念碑

10.10.28.撮影

10.10.28.撮影

10.10.28.撮影
征清紀念碑 明治丗歳三月

10.10.28.撮影

10.10.28.撮影
 沼田郡八木村民建之 (碑裏面)



軍都・廣島関連施設戦跡」編



広島ぶらり散歩
   (八木小学校関連頁)
(八木の)キツネ岩
岡本敦生作:記憶の堆積―YAGI
(八木小学校)独立自尊碑
(八木村)征清紀念碑
(八木村)北清日露青島三戦役表忠碑





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送