|
安佐南区八木の中八木公園に建立されている「中八木土地区画整理事業・碑」です。 |
※ |
1889(明治22)年4月1日市町村制施行時沼田郡八木村発足。1898年10月1日安佐郡八木村。
1955(昭和30)年7月1日川内村+緑井村+八木村=安佐郡佐東町発足。
1973(昭和48)年3月20日広島市に編入されました。 |
|
この地一帯は 起伏乞うて御 大小区々 不整形であり乍らも 祖先の汗と血の通った農耕地で 田には黄金の波畑には生鮮野菜の香りが絶えない農産物の徳山地であった
而して広島市を中心に 水需要の増大 河川水質の汚濁等に対して 水の維持流量確保のため 住民が好むと好まざるとに 不拘 高瀬堰が築造され 太田川の湛水が決定された
それに伴ふ太田川の漏水は この地区の農耕にも住居にも甚大なる影響を及ぼす事が 区画整理発足の契機となり 郷土愛に燃える地権者は組合を結成し より高度の進展を求めて 整理事業に着手 四ヶ年の歳月を経て 現状の完成を見るに到った 之れ実に関係者の努力支援は勿論であるが 底に流れる「人間の和」の貴さ強さの表現である。 |
附記 区画面積:93,327u 総事業費:金四億円也 昭和51(1976)年3月31日 (組合理事:迫本正夫之記) |
|
安佐南区区政振興課発行「あさみなみ散策マップ:八木ルート」を参考にこの地区を散策したのです。
マップにこの中八木公園に、岡本敦生作品の石の彫刻があるという記述ありましたので立ち寄りました。公園の入口に行った時にすぐにこの石碑が目に入りましたので、階段を上が碑にり近づき碑文を読んだのです。
この地区の土地区画整理事業でこの公園が設置されたのだと(わたしは)思ったのです。 |
09.05.01裕・記編集 |