富士川游顕彰記念植樹・碑

  安佐南区八木の安佐医師会館保健センターに建立されている「富士川游顕彰記念植樹・碑」です。
山桃の木 縁起   平成15(2003)年5月11日元富士川游顕彰委員会 安佐医師会富士川游顕彰委員会
  富士川游顕彰事業の一環として昭和50(1975)年7月9日広島医師会館の吉益東洞紀念碑の横に、生誕地・長楽寺1丁目より取り寄せた山桃の木三本を記念植樹した。
依頼20年に亘り成長繁茂し続けてきたが、平成6(1994)年広島市医師会館立看護専門学校医療専門課程の校舎新築により移植を余儀なくされた。しかし残念ながら枯死したため、記念の石柱「富士川游顕彰記念植樹」を持ち帰り、新しく造成した安佐医師会館の庭の一隅に移し、建立した。
平成7(1995)年3月安佐医師会長・土井達郎氏が退任記念に寄贈植樹した三本の山桃の木を広島医師会館の山桃の木二代目として、安佐医師会が育成することとしたので、ここに記念碑を建立する。
富士川游 (ふじかわゆう:1865-1940)
医学者。安芸国沼田郡安村大字長楽寺の人。藤川を富士川に改姓。広島医学校卒業。
日本医史学会の組織化に貢献。和漢の古医書を収集、日本医史学を確立。1912(明治45)年「日本医学史」で帝国学士院恩賜賞受賞。1914(大正3)年文学博士。1915(大正4)年医学博士。
安佐南区区政振興課発行「あさみなみ散策マップ:八木ルート」を参考に八木用水の八木導水入口を撮影し、八木城跡に行こうとしたのですが、どうも道を間違えたかなと思い、太田川河畔の道路に出ればどうにかなると思っていた時に出合ったのがこの石碑でした。
富士川游は、広島ゆかりの人であることを吉益東洞の頁を編集していた時に知りましたが、2006年に見た吉益東洞先生之碑と同じ広島大学医学部構内に建立されているという富士川游顕彰碑は見ていませんでした。
しかし、この八木の地に富士川游に関連する碑が建立されていたのかと、撮影し、この頁を編集しましたが、後日、広島大学霞キャンパスに建立されている「富士川游顕彰碑」を拝見しました。
 10.09.09裕・記編集

10.02.19撮影
広島市安佐南区八木5-35-2  安佐医師会館保健センター

10.02.19撮影

10.02.19撮影



「広島ゆかりの人たちの石碑など」編


「八木地区」編



広島ぶらり散歩
富士川游先生顕彰碑
富士川游顕彰記念植樹・碑





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