今井一翁頌徳碑

  安佐南区緑井の安佐南区佐東出張所前庭に建立されている「今井一翁頌徳碑」です。
今井一翁は、資性温厚にして徳器の人です。刀圭(とうけい=薬を盛るさじ→医者)の道に志し仁術を施される(産婦人科病院を開業)。また、38年にわたり緑井村會議員でありその間議長としても村政に功績を印されました。緑井小学校の校医としても58年間保健衛生面に精魂を傾注された事は深く景仰するところです。町勢の進展を希求され820余坪を公共施設敷地として贈与され、茲に(佐東町)町象徴としての庁舎を建設する事となり、よって懿徳(いとく)を永く讃えこの碑を建立しました。
昭和40(1965)年10月佐東町
1889 明治22年4月1日 市町村制施行時、佐東町域には沼田郡川内村、緑井村、八木村ありました。
1898 明治31年10月1日 高宮・沼田両郡が統合して安佐郡となりました。
1955 昭和30年7月1日 (安佐郡)川内村、緑井村、八木村が合併して佐東町となりました。
1973 昭和48年3月20日 広島市に編入されて消滅する。同時に安佐郡も消滅する。
安佐南区区政振興課発行「あさみなみ散策マップ:緑井ルート」を参考にこの地区を散策したのです。
先に立寄った恵美須神社の縁起を聞いてみようと佐東公民館に立寄った時にみた「今井一翁頌徳碑」でした。マップには紹介がありませんでしたが、碑文を読んで病院を開業されていたことが分かりました。
また、碑銘を揮毫した方が山本空外師と云うことが分かり、帰宅後調べてみました。
 10.08.21裕・記編集

10.04.03撮影
広島市安佐南区緑井6-29-25  (安佐南区佐東出張所)

10.04.03撮影

















やまもと くうがい
山本空外
1902-2001
浄土宗僧侶、文学博士。被爆者。広島市生まれ。東京帝国大学文学部卒業。
1927(昭和2)年旧制山形高等学校講師。1929(昭和4)年広島文理科大学創設際時助教授、文部省在外研究員として欧米に留学。1935(昭和10)年文学博士。1953(昭和28)年〜1966(昭和41)年広島大学教授。1974(昭和49)年(財)光明修養会上首就任。1986(昭和61)年(財)空外記念館設立理事長。

10.04.03撮影



「広島ゆかりの人たちの石碑など」編



広島ぶらり散歩
「緑井・川内附近」編





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