じょうぎょうじ
浄行寺

  安佐南区川内に建てられている「龍燈山(りゅうとうざん)浄行寺」です。
龍燈山・浄行寺は、浄土真宗本願寺派のお寺です。
紀伊国伊都之庄より出た阪山三郎右衛門隆行という者が、長禄3(1459)年6月安芸郡下瀬野村に移住して来ました。子孫は天文20(1551)年の戦で敗れ憤死、妻子は紀伊国に逃れました。
阪山四郎は再び安芸国に戻り豊田郡上河内村真城山城主・山中忠兵衛に身を寄せ、身の無情を感じ、温井村禅宗光禅寺(浄行寺の東にある地蔵院と思われます)で剃髪して浄行と名乗りました。
永禄13(1570)年8月同地に一宇を建てましたが、天正2(1574)年3月本願寺第十一世顕如(けんにょ:1543-1592)に皈依(≒帰依)して浄土真宗に転じ、法名も覚浄と改め、前の戒名を寺号にしたと伝えられています。
芸藩通志に「温井村にあり竜頭山と号し、永正5(1508)年戊辰僧浄覚開基」とあり、山号は竜頭山と号していましたが、明治20年代本願寺の「燈」運動に刺激され、竜燈山と改めたそうです。
安佐南区区政振興課発行「あさみなみ散策マップ:緑井ルート」を参考にこの地区を散策したのです。
マップには縁起などの説明がありませんでしたが立寄ってみました。
本堂に掛けてあった、山号額「龍■山」■は火に皇かなと思ったのですが、恥ずかしい事に分かりませんでしたのでお寺の方(ご住職とおもうのですが)にお聞きしました燈という字で龍燈山浄行寺と云いますと教えていただきました。
お寺の縁起は、後日調べた佐東町史に記述がありましたので参照しました。
 10.08.23裕・記編集

10.04.03撮影
広島市安佐南区川内6-30-9

10.04.03撮影

10.04.03撮影
本堂前の山号額

10.04.03撮影



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