(落合村)灌漑記念碑

  安佐北区落合の真亀山神社に建立されている「(落合村)灌漑記念碑」です。
村此地從来大半畑地田亦灌水之加之水路不完全區畫不規則希耕地整理久偶大正元年於時落合村長武田岩太郎氏謀下屋鋪武市藤森平七両氏共千發起申議於縣嘱規再起工克伏幾多困難迂餘曲節忍結不悔■時大正四年五月即成區畫整然畑化美田揚水滔排水至便區民永浴惠灌漑大東亞戰中食糧増産目下緊要地偲其功績切即樹碑傳後世矣次當時参畫委員刻芳名矣武田岩太郎氏下屋鋪武市氏香川芳太郎氏藤森徳一氏南平九郎氏酒井徳太郎氏岡光莊右衛門氏下河内春吉氏谷川昌平氏幸本肇之助氏石井辰太郎氏南原新吉氏 廣島縣振興課長大石静信書
昭和17(1942)年5月 玖村普通水利組合建之
1889 明治22年4月1日 町村制施行時(下深川村+中深川+諸木村+末光村+玖村+岩上村)
                                  =高宮郡深川村発足。
1895 明治28年9月1日 深川村の一部(大字諸木+末光+玖+岩上が分村)落合村発足。
1895 明治31年10月1日 高宮郡と沼田郡が郡制施行で安佐郡となりました。
1995 昭和30年3月31日 深川村+狩小川村+落合村+口田村=安佐郡高陽町発足。
1912(大正元)年落合村村長・武田岩太郎他で水利組合を結成。
従来の小川や谷のみに依存していた稲作からポンプによる太田川からの取水に転換し、配水路網を整備して耕地の拡大を図る。1915(大正4)年工事を完成。
稲作の作付が可能になった畑約5haを加え15haに拡大。大東亜戦争中の食糧増産にも寄与した。
真亀山神社の境内・道路に面した所に石碑が3基建立されていました。
その中の参道に一番近い処の石碑が、この落合村・灌漑記念碑でした。碑文は水路を整備して食糧増産に寄与したと云う事が関係した人物と共に刻まれていました。工事が完成したのが1912(大正4)年であるのにこの石碑の建立が1942(昭和17)年というもの戦争という時代背景があるように(わたしは)思いました。
1974(昭和49)年よりはじまった高陽第一土地区画整理事業の施工により全面盛土されてしまい当時の造成された耕地や水路は姿を消し、宅地化されましたので、いまは昔の面影を遺すものはありません。
10.02.06更新   09.12.17裕・記編集

08.12.29.撮影
広島市安佐北区落合2-6-1  (真亀山神社)

08.12.29.撮影

08.12.29.撮影

08.12.29.撮影



「水関連その他」編



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