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安佐北区落合の真亀山神社標柱横に建立されている「玖村土地改良区記念碑」です。 |
天の声、宿命として稲作り一筋に打ち込んで来た玖村土地改良区の実績を後世に残すため、解散に当たり碑を建つ |
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1912 |
明治45年半ば
(*大正元年) |
耕地整理組合を結成。
従来の小川や谷のみに依存していた稲作からポンプによる太田川からの取水に転換し、配水路網を整備して耕地の拡大を図る |
1915 |
大正4年5月 |
約4年間で工事を完成。
稲作の作付が可能になった畑約5haを加え15haに拡大 |
1949 |
昭和24年6月 |
法改正に伴い玖村土地改良区に名称変更 |
1977 |
昭和52年4月 |
区画整理事業工事のため、灌漑事業を全面停止。配水稲作期間約60年 |
1982 |
昭和57年1月 |
解散認可 |
1889 |
明治22年4月1日 |
町村制施行に伴い下深川村、中深川村、諸木村、末光村、玖村、岩上村が合併して高宮郡深川村となりました。 |
1895 |
明治28年9月1日 |
大字諸木、末光、玖、岩上が落合村として分立しました。 |
1955 |
昭和30年3月31日 |
落合村、狩小川村、口田村、深川村が対等合併して高陽町になりました。 |
1973 |
昭和48年3月20日 |
高陽町は広島市へ編入されて消滅しました。(同時に安佐郡も消滅) |
1980 |
昭和55年3月20日 |
広島市が政令都市となり、安佐南区の一部になりました。 |
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真亀山神社の境内・道路に面した所に(現在)石碑が3基建立されています。その中の参道から一番遠い処(左端)の石碑が、この玖村土地改良区記念碑です。
碑文から右端に建立されている灌漑記念碑のことがこの碑文から推測することができました。 |
09.12.01裕・記編集 |