恵下山城跡

  安佐北区真亀に過って築かれていたという「恵下山城跡」を取り上げました。
恵下山(えげやま)城跡(会下山城跡、恵下山ノ城跡)は、鎌倉時代末から室町時代末期の山城です。
城跡は、弥生時代から古墳時代の竪穴住居跡とともに広島県史跡に指定されています。
太田川左岸の低丘陵上にあって、西の太田川・南の諸木川を天然の堀として利用し、南の地蔵堂山城跡とともに太田川右岸の八木城跡と対峙しています。
郭の配置は、主(頂上の)郭から南西方向に三つの従郭を階段状に並べ、主(頂上の)郭の東・西両斜面には帯郭を置いています。また郭東隣りの小丘陵には出丸が設けられています。全体的な縄張の形状は馬蹄形をしており、合計15の郭からなります。
高陽ニュータウン建設に伴い発掘調査が実地され、その結果主郭から建物八棟分の柱穴群・柵列・石垣などの遺構が確認され、主郭を中心に陶磁器・土師質土器・鉄製品・スラグ・坩堝など多くの遺物が出土したそうです。
城跡はその地形的環境から水軍城としての機能も指摘され、城主は金子氏と伝えられていますが、詳細は不明です。
(財)広島市文化財団文化科学部文化財課の資料を参考にしました
鎌倉時代以後の安芸国では、武田、熊谷、香川、金子氏などの東国武士が入国し、所領をめぐる争いが繰り返されています。
安佐南区区政振興課発行「あさみなみ散策マップ:八木ルート」を参考にこの地区を散策したのです。マップに「八木城」がありました、また、太田川を挟んで(対峙するように)恵下山城が記述してありましたので、行ってみたのです。
 09.12.22裕・記編集

08.12.29.撮影
広島市安佐北区真亀3丁目  (恵下山城跡を≒西南よりみる)

08.12.29.撮影
左:太田川(堤防)、JR玖村駅

08.12.29.撮影
恵下山城・廓があったと云われるところに現在展望台が造られています

08.12.29.撮影

08.12.29.撮影
恵下山城跡から太田川越しにみた八木城跡

08.12.29.撮影
説明板の地図を使用しました



「古墳遺跡遺構など」編



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