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安佐北区真亀、落合に遺っている「恵下山・山手遺跡群」です。 |
広島県史跡 恵下山・山手遺跡群 指定:昭和49(1974)年4月25日 平成18年3月30日広島市教育委員会 |
高陽ニュータウン団地内からは多くの遺跡が発見されています。
そのうち、恵下山遺跡群は、太田川を見下ろす標高60〜70mの丘陵上にあり、弥生時代終末から古墳時代初頭頃(約1800年前)の竪穴住居跡5軒と貯蔵用土坑6基、古墳時代後期(約1400年前)の横穴式石室古墳1基、鎌倉時代から戦国時代(約700年〜約500年前)にかけての山城跡からなっています。
また山手遺跡群は谷ひとつ隔てた南側の丘の上にあり、恵下山遺跡と同時期の竪穴住居跡4件と、古墳時代中期(約1600年前)の古墳1基からなっています。 |
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弥生時代から古墳時代初頭頃の太田川流域や広島湾沿岸地域では、だいたい3〜4戸の住居を単位とする集落が小高い丘の上につくられています。これは、太田川の氾濫をさけ、狭い谷間を水田として最大限に利用するため、このような場所に分散して生活せざるをえなかったためと考えられています。
その後古墳や山城跡が示すように、当時この地を治めた権力者の墓地や拠点として利用されています。本遺跡群は、弥生時代からこの地に根ざした人々の活動した様子を今に伝える貴重な財産となっています。 |
「広島の橋」編を編集していますので、太田川にかかる橋を下流からみてきています。
安佐大橋の次が、高瀬大橋だなと地図を見ながら考えていました。高瀬大橋を見るにはJR玖村駅から≒800mかと・・・その玖村駅東300mくらいの処にこの頁で紹介する「恵下山遺跡群」がありました、みに行ってみようと思ったのです。 |
09.12.23裕・記編集 |