大禹謨だいうぼ・碑(太田川改修記念碑)

  人生の哀歓を秘めた太田川 清澄な流れはわが町の政治経済文化に大きく寄与し 又吾々の生活に父祖の生活に 潤いと安らぎを与えてくれた しかし濁流は 多年に亙って水と戦った人々の苦難の歴史を創った
元和、寛永、承応、嘉永、明治7(1874)年、明治17年、大正8(1919)年、大正12年、大正15年、昭和18(1943)年、昭和20年の水禍は大きく 特に承応2(1653)年の洪水には死者5000人余に達したという 近く昭和18(1943)年の大出水は八木村・川内村・緑井村の堤防を決潰し 濁流は全村に流れ込み 尊い人命と多くの財産を奪い惨状被害は筆舌につくし得ないものがあった 水禍に対する住民の苦悩は深刻であったが 当時の三村の財政力では根本的な治水工事はできなかった
 幸い地元住民の協力により 昭和7(1932)年より国費による改修工事が進められ 40年の星霜と30数億円の巨費が投じられ 太田川中流部の改修がなり 願望の古川締切工事も昭和44(1969)年3月完成し 近く高瀬堰の完工を見るに至った 永年に亙る父祖の努力と吾々の要望が実を結び 偉業の成し遂げられたことを町を挙げて喜ぶ   黄河の水を治めた夏の禹王の遠大な はかりごと にあやかり大禹謨を建立して 太田川の歴史を偲び治水の大業を称える                        昭和47(1972)年5月20日  佐東町長 池田早人 撰

伝説的な中国最古の王朝(紀元前2070年頃 - 紀元前1600年頃)。治水に功績のあった禹(う)が、舜(しゆん)の禅譲をうけ王位についた。以後世襲により17代続き、暴君桀(けつ)の時、殷(いん)の湯王に滅ぼされたという。夏殷周三代と並称。

中国古代の伝説上の聖王。儒教の聖人の一人。姓は(じ)。鯀(こん)の子。治水に功績があり、舜から禅譲によって帝位を受け、夏王朝をたてたという。夏伯。夏禹。大禹。

1.ハカリゴト=謀。2.ハカる。広く計画を相談する。3.△無。ない
安佐南区区政振興課発行「あさみなみ散策マップ:八木ルート」を参考にこの地区を散策したのです。マップに「太田川改修記念碑」がありましたので立ち寄りました。堤防道路から高瀬公園を見渡した時見えたのは「大禹謨」と刻まれた石碑だけでしたが、何の事だろうと思ったのです、碑の裏に回って碑文を読んで、これが太田川改修記念碑であったことがわかりました。
 09.12.11裕・記編集

08.12.29撮影
広島市安佐南区八木1-1附近 高瀬公園

08.12.29撮影
表面:「大禹謨」

08.12.29撮影
裏面:碑文



「水関連その他」編



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 大禹謨・碑(太田川改修記念碑)







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