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安佐南区八木に過って築かれていたという「八木城跡」を取り上げました。 |
香川経景は、1221(承久3)年承久の乱の功により安芸国八木を与えられ、その子・景光が安芸国に移住して1381(永徳元)年八木城を築城したと云われています。
戦国時代初期には(安芸)武田氏に従っていましたが、武田氏は大内氏や毛利氏との戦いによって勢力が衰えました。
当時の香川氏当主・香川光景は最後まで武田氏を支えたものの、家中の争いにより離反して毛利氏に従いました。八木城は香川氏の居城として栄えましたが、1600(慶長5)年関ヶ原の戦いの敗北で、毛利氏が防長移封となり、それに従いましたので、八木城は廃城となりました。
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鎌倉時代以後の安芸国では、武田、熊谷、香川、金子氏などの東国武士が入国し、所領をめぐる争いが繰り返されています。 |
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安佐南区区政振興課発行「あさみなみ散策マップ:八木ルート」を参考にこの地区を散策したのです。
マップに「八木城跡(城山)」がありましたので、西側に位置する伊勢社から、高瀬大橋の所から、太田川を渡り(東側の)対峙したであろう恵下山城跡から、八木城があったと云われる城山を撮影してみました。 |
09.12.14裕・記編集 |
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08.12.29.撮影 |
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広島市安佐南区八木5丁目 (八木城跡を≒西よりみる) |
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08.12.29.撮影 |
(八木城跡を≒南よりみる) |
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08.12.29.撮影 |
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08.12.29.撮影 |
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08.12.29.撮影 |
恵下山城跡から(≒西側から太田川越しに)みた八木城跡 |
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