眞實院大瀛之塔

  安佐北区可部の勝圓寺に建立されている「眞實院大瀛之塔」です。
大瀛(だいえい)和上の御事績        昭和56(1981)年1月記
  当・勝円寺第十二世住職大瀛和上は寛政の頃おこった浄土真宗の安心惑乱(三業惑乱)に際して芸備両国の学徒を統率され一身を賭して正意挽回の衝に当られ法門糺明中東都にて文化元(1804)年5月4日45歳で示寂されました。
しかし和上の御偉業により文化3(1806)年には西本願寺如宗主が御裁断の御書を披露されこの大法難は終結をみたのでありました。明治44(1911)年には和上へ西本願寺より特別賞與條例第一條により第一種一等が追贈されています。
だいえい
大瀛
1759−1804
浄土真宗の学僧。安芸国山県郡中筒賀村生れ俗姓は森。名は廓亮。号はセイ園、天城、瑞華など。報専坊の慧雲に師事。京都西本願寺学林で真宗学をまなぶ。新義派の智洞の説を批判する古義派を代表して、文化元(1804)年江戸で智洞と対決したが,勝利をみることなく同(1804)年5月4日没した。著作に「浄土真宗金剛へい」「真宗安心十諭」など。
たりきほんがん
他力本願
〔仏〕 阿弥陀仏が衆生を救済する本願の力に頼って成仏すること。
浄土真宗で「他力」とは、「他」とは阿弥陀仏を指し、「力」とは如来の本願力(はたらき)をいう。
いっしんきみょう
一心帰命
疑うことなく仏に帰依(きえ)すること。
さんごうわくらん
三業惑乱
江戸時代、浄土真宗本願寺派に起こった教義理解をめぐる紛争。学林の学僧を中心に、身口意の三業をあげて帰仏の儀式を行うことが必要であるとする三業帰命の学説が広がったが、それを異端とする主張が生じて対立した。宗派内では解決できず、1806(文化3)年幕府の裁断で三業帰命は異端説と定められた。
しんくい
身口意
〔仏教〕 人間の行為すべてを、身体のはたらきである身、言語活動である口、精神作用である意に分類したもの。
(関連語句) 芸轍(芸州轍)
以前南区稲荷町の広寂寺を訪ねた時に「三業惑乱」という真宗内での対立があったことを知っていましたが、大瀛和上が芸備両国の学徒を統率されたことをここ勝円寺で(わたしは、はじめて)知りました。
(2010年)7月本堂でお参りさせていただいた後本堂内をみると、説明板にあった「特別賞與條例第一條により第一種一等」の書状が額に入れられ掛けてありましたので撮影させていただきました。
* 広島県商工労働局観光課の資料によると、お墓は、山県郡安芸太田町 中筒賀市下にあり、安芸太田町教育委員会が管理しているそうです。
ここ勝円寺の宝塔に刻まれた文字をみると薄くなっていますが「眞實院大瀛之塔」と刻まれているようでしたので編集した時大瀛の墓としていましたが「真実院大瀛之塔」と改めました。
10.09.10訂正   10.09.07.裕・記編集

10.04.03撮影
広島市安佐北区可部3-39-4 勝圓寺

10.07.23撮影

10.07.23撮影

10.07.23撮影

10.07.23撮影

10.04.03撮影



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