木坂文左衛門の墓

  安佐北区可部の勝円寺に建立されている「木坂文左衛門の墓」です。
木坂文左衛門(きさかぶんざえもん:?-1871). 鉄問屋「南原屋(なばらや)」第九代当主。
幕末、広島藩も天保通宝(百文銭)の鋳造を図り、請け負ったのが鉄問屋・南原屋の木坂文左衛門でした。
(当時、可部地区はたたら製鉄など鋳物作りが有名だったので藩はその技術に目を付け)南原屋当主・木坂文左衛門に打診、藩から受けた偽金作りの打診に逆らえず、人目に付かない場所で100人以上の職人を集めた偽金工場を造りました。1868(慶応4)年5月から翌(1869)年9月まで断続的に作り続け、記録では31万枚の天保通宝を造ったとされるそうです。
偽金造りは、戊辰戦争の戦費調達が藩の目的でしたが、明治新政府に発覚。関係者は厳しい取り調べを受けました。その後、木坂文左衛門は当時の警察機関「弾正台」に出頭しますが、広島藩や職人を守り、1人で罪をかぶって厳しい取り調べを受け、釈放後に亡くなったそうです。
ぼしんせんそう
戊辰戦争
1868(慶応4)年戊辰の年に始まり、維新政府軍と旧幕府側との間に16か月余にわたって戦われた内戦。正月の鳥羽伏見の戦いに勝利した政府軍は、4月江戸城を接収、上野にこもる彰義隊はじめ関東各地で旧幕府主戦派を討滅、奥羽越列藩同盟を結んで対抗する諸藩をも会津戦争を頂点に10月には帰順させた。翌(1869)年5月、最後の拠点箱館五稜郭を陥落させ、内戦は終結、明治絶対主義国家確立への途が開かれた。
だんじょうだい
弾正台
2)1869(明治2)年に設置された警察機関。1871(明治4年)年司法省に統合された廃止。
1)律令制で、京内の風俗粛正犯罪取り締まりを行なった警察機関。
  九世紀初め検非違使(けびいし)の設置により形骸化した。ただすつかさ。
2010年4月交流ウォーク探検隊で訪ねた勝圓寺で可部地区のボランティアガイドをされているK氏にここに葬られている木坂文左衛門の贋金作りの話を伺いましたのでこの頁を編集しました。
以前、わたしはコインを収集していましたので、日本のコインは少しですが収集していました。
その中には天保通宝もありました。その時蒐集の手引きにしていた(いまは無き)ボナンザ社発行「通貨手帳」の天保通宝の部分を引用するとこうあります。
『天保6(1835)年9月2日幕府は100文銭の発行を発表した。・・・・幕府同様財政逼迫に悩んでいた諸藩が(こんなウマイ話はないと)見逃すわけがなく、薩摩藩が琉球救済の名目で3年の期限付きで、天保通宝型の琉球通宝の鋳銭許可を得たのが先例となり各藩は領内通用を条件に鋳銭許可を求めたが幕府は認めなかった。しかしすでに威令は行われず各藩は天保通宝の密鋳をはじめた。・・・・・天保通宝には鋳地不明の不知銭が多種多様にあり、その中には、金沢、広島、徳島など(でも)幕末に藩鋳銭計画のあったところのものが含まれているかもしれない』と記述しています。
10.09.08.裕・記編集

10.04.03撮影
広島市安佐北区可部3-39-4 (勝円寺)
















10.04.03撮影

10.04.03撮影



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