(可部の品窮寺)水害紀念碑

  安佐北区可部の桐原山 品窮寺に建立されている「水害紀念碑」です。
(正面)水害紀念碑  境内地上流水 水深四尺浸水
(裏面)品窮寺第二十一世住職助教桐原智範 水害復旧工事監督人勲七等澤野武輔
     昭和三年〔皇紀二千五百八十八年〕六月廿四日大洪水  昭和五年五月復旧工事竣功
紀念(きねん)=かたみ、思い出。記念。漢和辞典では出版などの時は記念が正しいといっています。
* 昭和3年=1928年。石碑には皇紀2588年も併記しています。皇紀=紀元2600年は昭和15年=1940年です。
1928(昭和3)年6月23日夕方から降り出した雨が、翌24日夕方より暴風雨となり日雨量は可部で160mmに達しました。その為、旧可部町を中心地した太田川下流の支流は大洪水となり、山崩れ、堤防の決壊が各所で起こり、安佐郡の各忖に大きな被害を与えたそうです、なかでも、根の谷川の氾濫による可部町、中原村の被害は特に大きかったそうです。
四尺≒1.21m。1875(明治8)年制定の「度量衡取締条例」で基準としての尺度が決まりました。
太田川、根の谷川という2つの川に挟まれた地と云ってもいいここ可部地区では、水防対策がまだまだ不備だった昔はしばしば洪水被害にあったことは容易に想像できる事と思いましたが。
ここ品窮寺も含め、1928(昭和3)年6月根の谷川の川土手が決壊し可部の町が水没し、その被害復旧工事が1930(昭和5)年5月竣工したことを記念して建てられた「水害紀念碑」をみましたので撮影しました。
13.04.18更新   10.09.11.裕・記編集

10.04.03.撮影
広島市安佐北区可部2-12-4 (品窮寺)

10.04.03.撮影

10.04.03.撮影



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