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安佐北区可部南の友廣神社に建立されている「狛犬」と「梵鐘」をこの頁で取り上げました。
*神社に梵鐘は珍しいと思って撮影しました。 |
可部カラスの会発行「わがまち可部」によると
『可部町史年表に「大正8年7月暴風雨・大洪水で町域の被害が甚大で川舟の施設が全滅した」という記述があるそうで、その被害の復旧を祈念して石燈籠と狛犬が奉献された』とありました。 |
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狛犬台座をみると、側面に大正9(1920)年10月吉日とあり裏面に在米國寄附者22名の名前が刻まれていました。ここ可部地区からも米国移民の方々が居られ、その方々も故郷の風水害の被害に対して祈念の狛犬・石燈籠だけではなく、義援金も贈られてきたのだろうと、(わたしは)考えましたが。 |
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梵鐘をみると「昭和27(1952)年3月 可部町 二宮英輔鋳造 鋳物師 中野眞之輔 中村権八」と鋳込まれていました。
後日気が付いた上原八幡神社の梵鐘も二宮鋳造製で、昭和26(1951)年秋 安佐郡可部町二宮鋳造 鋳物師
中野眞之輔 川辺武啓と鋳込まれていました。 |
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一等水準点を撮影した後、根際の狛犬をみました。そして、お寺の鐘楼はたびたび見ていますが、神社での鐘楼は何処で見ただろうかと考えながら、釣鐘をみました。
釣鐘には「友廣神社」「昭和廿七年三月」と刻まれていましたので、この神社のために、戦後とはいえ鋳造された釣鐘ということが分かりました。それにしても神社の鐘楼は珍しいと(わたしは)おもいました。 |
10.10.25.裕・記編集 |