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安佐北区可部町下町屋に建立されている「可部招魂社」です。 |
可部招魂社は、1919(大正8)年に可部町上市の高宮高等小学校の校庭に建てられました。
一時忠魂社、可部神社などと呼ばれましたが、1945(昭和20)年末両延神社に移転。
当時の遺族委員長(元可部町長)が発起人になり、遺族会や有志の寄付金で1947(昭和22)年4月現在地の旧可部高校グラウンド北に招魂社を建てました。
大林、三入、亀山の旧三村が可部町に合併した1955(昭和30)年三村の戦没者も合祀。
可部町の広島市合併を機に1973(昭和48)年10月遺族会、町内会、自治会の代表が協議、社殿を管理する招魂社後援会を設立。毎年春の慰霊祭や建物の改修、崩れた石垣の修復などに当たっています。
現在、第二次世界大戦などの戦没者、学徒動員や軍務中に原爆で亡くなった計810名が祀られています。 |
*可部招魂社の資料は中國新聞ファミリー可部2010年4月号の記事を参考にしました。 |
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お願い
この招魂社は皆さんに関係の深い可部町の方で日清、日露、日支事変、大東亜戦争等で国のために戦い又動員学徒等、若い人々が原爆により尊い命を捧げられた方々八百余柱をお祭りしてあるお宮です。この人達の働きにより世界で最もめぐまれた平和な今日の日本があるのです。
この神社に参拝する皆さんは神霊に感謝し何よりも敬虔な心を持って神前にぬかづくという気持を忘れてはなりません。又神殿や神域にいたずらをすることはやめましょう。神様は常に見守っていて下さいますが決して罰を与えることはありません。然し自分の心にさいなまれ自身の招いた罪悪感を背負って一生苦しむことになります。皆さんが今一人で静かに神様の前に立ってごらんなさい。必ず手を合わせ頭を下げて神様を拝む尊い心がわき出るだろうと信じています。それが日本人です。 |
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わたしがぶらり散歩の時に利用している昭文社版1万分の1地図・街の達人では、「可部護国神社」と表記しています。 |
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この可部地区にも招魂社が建立されていることを知りましたので、訪ねました。今回事前に計画したコース上から先に友廣神社の境内社である(可部)中島招魂社を訪ね参拝した後、訪ねました。地図には「可部護国神社」とありましたが、拝殿に掛けてあった(可部)招魂社という名称をわたしのこの頁では優先しました。 |
10.10.03.裕・記編集 |