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安佐北区亀山の船山稲荷神社に建立されている「皇紀二千六百年紀念碑、標柱」です。 |
船山稲荷神社を参拝して、急な石段を降りようとした時見た石碑でした。
碑文は不鮮明になっていましたが、側面に昭和拾五年五月と読めましたので、裏に回り碑面をみると、こちらがもともとは表面で「皇紀二千六百年紀念」と刻まれていましたので、紀元2600年を記念して建てられた石碑でした。
碑文は「此立神武帝御東征之砌・・・・」とあり部分的に読めましたが、皇紀2600年を記念して神武天皇由来のこの地に紀念碑を建て社殿を復興させたということのようですが、(わたしには)読み下せませんでした。 |
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神武天皇の東征のおり、(瀬戸の海は可部盆地辺りまで入り込んでいたといわれいました)天皇は広島湾の奥深く、この地の帆待川をさかのぼり、舟山のふもとに舟を繋ぎ、舟山に
登られたという伝承があります。
神武天皇みずから舟をつながれた由緒ある山のため、別名「貴船山」(きふねやま)と呼ばれていましたが、いつの頃からか貴の字が取れて船山となったといわれています。
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登る時には標柱(注連縄柱)があるなとは思いましたが、降りてきた時裏面に「奉献
紀元二千六百年記念 願主・・・」と刻まれている事に気が付きましたので撮影しました。 |
国道191号線沿いに歩いている時あの小高い丘が船山をみた時、(疲れていましたので)上るのはしんどいな〜と思ったのです。それでもここまで来たのだからと、石段を上り、参拝した後、丘の上から可部の町をみている時に、この石柱をみたのです。碑文は不鮮明で読めませんでしたが、前に回ると皇紀二千六百年紀念碑でしたので撮影して、降りたのです。
その時子どもたちが自転車を鳥居の前に止めて元気よく石段を上りはじめました。元気がいいものだな〜と思い、帰ろうと前を向いた時に、注連縄柱に刻まれた文字に目がとまり、この(注連縄柱)標柱も紀元2600年記念で奉献されたものと分かりました。 |
11.07.03.裕・記編集 |