こうど じんじゃ
河戸神社

  安佐北区亀山に鎮座している「河戸神社」です。
※河戸神社は、旧称を惣社、総社と云われていました。新調された鳥居額には「惣社大明神」と刻まれています。
祭神: 須佐之男命
由緒: 創祀年代は詳らかではありませんが、神武天皇東征の際の行宮跡を祀ったのがはじまりと伝えられています。中世には安芸国守護・武田氏代々の祈願所となりました。
「芸藩通志」によると社の側らに「総社免、神田、神立、神楽田、土器田、政所門田、馬場」という地名があることから往時は相当の大社であったと考えられます。
1664(寛文4)年安北郡を高宮郡に郡名変更の際、可部河戸下四日市村に惣社という旧宮跡があり、安芸国可愛宮(えのみや)の旧地と伝えられることから高宮郡と号することになったそうです。
室町時代可部町域では、福王寺(真言宗)の勢力が強かったことから、徳行寺はその末寺であったと考えられています。当時徳行寺の住職は、境内にあった惣社大明神の別当職をかねていました。その後、1652(承応元)年浄土真宗に改宗したころには、惣社大明神も衰え、別当職であったということは伝えられていないそうです。
(あんぐう)
行宮:
《「あん(行)」は唐音》
天皇の行幸(ぎょうこう)のときに旅先に設けた仮宮。行在所(あんざいしょ)。
(そうじゃ)
(そうしゃ)

総社;惣社:
いくつかの神社の祭神を1か所にまとめて祭った神社。
平安時代、参拝や祭祀(さいし)の便宜のために、国司が国内諸社の神霊を国府の近くに勧請したのが起源。郡・郷などの総社もある。
今(2011年)回「(原爆投下時落下傘落下地点)原爆犠牲者之碑」を訪ね頭を垂れ撮影することが主目的でしたが、2010年にみた「帆待川の伝承」につながる地を訪ねることも目的にしていましたので、亀山公民館のWeb資料でここ惣社大明神の事も知りました。惣社大明神も訪ねなくてはと思ったのです。広島県神社誌によると神社銘が河戸神社となっており、旧称が惣社大明神といわれていると記述していました。
神武天皇東征を、国民の戦意高揚に利用しようとした不幸な時期があったことは反省が必要で、今後はそうならないようにしなくてはならないと(わたしは)思いますが、神話だ伝承だと切り捨ていいものではなく、昔から伝承されてきた話は、(都合がいいところだけ取りだし利用するのではなく)次の世代に伝承されていくものなのではと(わたしは)思っています。ここで取り上げてきた、神武天皇に繋がる伝承も伝承として頁を編集したことは云うまでもないことですが、あえてくどくどと書きました。
11.07.28.裕・記編集

11.06.25撮影
広島市安佐北区亀山2-18-11

11.06.25撮影

11.06.25撮影

11.06.25撮影

11.06.25撮影



広島の神社寺院」編



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「可部町」編





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