りょうのべじんじゃ
両延神社

  安佐北区亀山南に鎮座している「両延神社」です。
両延神社は、旧称、白石山八幡宮と呼ばれ、通称として西宮と呼ばれています。
祭神: 品陀和気命、息長帯比売命、神倭伊波礼毘古命、天児屋根命、多紀理毘売命、市寸島比売命、田寸津比売命
由緒: 往古より「可部の宮」とも「西の宮」とも称され、当地方の総鎮守として旧十二箇村の人々の崇敬を受けてきました。
「芸藩通志」によると、1190(建久元)年武田朝信が宇佐八幡宮の分霊を下四日市村岡崎に勧請し、1253(建長5)年武田信時が大毛寺村白石山(現在地)に奉遷しました。安芸国守護・武田家没落後一時衰微しましたが、1706(宝永3)年近郊十二箇村の氏子により再建造営され、現在に至っています。
今(2011年6月)回は、「(原爆投下時落下傘落下地点)原爆犠牲者之碑」を訪ね頭を垂れ撮影することが主目的でした。その場所がわからなかったので亀山公民館に尋ねSさんにお手数をおかけして、だいたいわかりましたので、今回のぶらり散歩をJR可部駅〜亀山公民館〜原爆犠牲者之碑〜JR可部駅と計画しました。亀山公民館でSさんにお手数をおかけしたことのお礼を直接云い、亀山公民館近くのこの両延神社を参拝しました。
境内には、明神社境内の佐々木星峡先生寿碑で知った末田重邨先生の碑が建立されていました。また、参拝した後、拝殿内の奉納絵馬をみて撮影し「高野の仇討ち」の事を帰宅後調べて知りました。新しい作とはいえ、鋳物の街・可部を象徴している、梵鐘や鉄燈籠もみましたのでこれらは別頁で編集することにしました。
11.08.03.裕・記編集

11.06.25撮影
広島市安佐北区亀山南3-18-40

11.06.25撮影

11.06.25撮影

11.06.25撮影
吽形随身像 阿形随身像

11.06.25撮影
随身門を石段上から見返りました

11.06.25撮影

11.06.25撮影

11.06.25撮影

11.06.25撮影
本殿:三間社入母屋造、向拝付、銅板葺(間口三間、奥行二間)、1853(嘉永6)年再建

11.06.25撮影



広島の神社寺院」編



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両延神社
  末田重邨先生碑
  奉納絵馬・高野の仇討ち
  神木・松の跡
  奉斎殿
  梵鐘、鉄燈籠
両延橋


「可部町」編





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