(両延神社)梵鐘、鉄燈籠

  安佐北区亀山南の両延神社に建立されている「梵鐘と鉄燈籠」をこの頁で取り上げました。
     -梵鐘-
万民安泰  国運隆昌 五穀豊穣  天下太平
 二十四代 宮司 末田武雄
 鋳匠 河迫吉衛 之作
 奉献 大和重工株式会社 当代社長田中隆平  世話人 面川寛之助
 昭和四十四年吉日 *昭和44年=1969
(ぼんしょう)
梵鐘:
寺院の鐘楼の釣り鐘。青銅製が多く、撞木(しゆもく)で打ち鳴らします。洪鐘(こうしょう)・蒲牢(ほろう)・鯨鐘(げいしょう)・巨鐘・華鯨(かげい)・長鯨など多くの異名があります。
梵鐘の主な役割は本来は法要など仏事の予鈴として撞く仏教の重要な役割を果たします。
朝夕の時報(暁鐘:ぎょうしょう、昏鐘:こんしょう)にも用いられます。ただし、梵鐘は単に時報として撞かれたものではなく、その響きを聴く者は一切の苦から逃れ、悟りに至る功徳があるとされ、こうした梵鐘の功徳については多くの鐘の銘に記されています。青銅製が多く、小型のものにはまれに鉄製もあります。小型のもの(一説には直径1尺7寸以下)は半鐘(喚鐘、殿鐘)といい高い音で、用途も仏事以外に火事などの警報目的でも使われます。
2007年可部南(中島)の友広神社で、鐘楼をみて神社に梵鐘があるのを見て、神社で梵鐘は珍しいな〜と思ったのです。可部地区のボランティアガイドをされているE氏に聞くと可部地区の神社では珍しくはないですよということでしたので、そうなのかと思っていたのです。ここ両延神社にもありました。考えてみると、鋳物の街・可部の神社に梵鐘の寄進があっても不思議ではないでしょう(事実この梵鐘は、大和重工からの寄進でした)し、この鐘は戦後鋳造のものですが、明治維新までは、神仏混淆という事を考えれば神社に梵鐘があってもいけないということはないのかと思っていますが。
     -鉄燈籠-
奉献
 寄進者:友鉄工業株式会社 当代社長友広和有。進和建工株式会社 当代社長上西不二夫。
      有限会社協栄太田石材加工 当代社長大田哲文
 平成十年十月吉日 *平成10年=1998
とうろう
灯籠
燈籠
灯明を安置するための用具。
古くインドでは竹や瓦で作られたらしいが、日本では青銅製や石造のものが多い。
平安時代に至ると、神社の献灯としても用いられるようになる。台灯籠・釣り灯籠があり、現在は多く装飾用。
(とうみょう)
灯明:
神仏に供えるともしび。昔は油を、今はろうそくなどを用いる。みあかし。
可部2丁目明神公園の鉄燈籠(かなどうろう)は、文化5(1808)年可部町の鋳物師三宅惣左衛門により鋳造されたもので広島市指定重要有形文化財に指定されています。
鋳物の街・可部を示しているものの一つといってもいいのでしょう。ここ両延神社で鉄燈籠をみましたので、近づいてみると1998年寄進されたもので新しいものですが、今も鋳造技術の継承を示すものの一つだろうと(わたしは)思いましたので撮影しこの頁を編集しました。
11.08.11.裕・記編集
     -梵鐘-

11.06.25撮影
広島市安佐北区亀山南3-18-40   両延神社

11.06.25撮影

11.06.25撮影

11.06.25撮影

11.06.25撮影
     -鉄燈籠-

11.06.25撮影
広島市安佐北区亀山南3-18-40   両延神社

11.06.25撮影



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