教善寺

  東広島市西条町西条に建てられている「南命山・教善寺」です、
教善寺は浄土真宗本願寺派のお寺です。
室町時代開基で、江戸時代は藩より代官直支配などの待遇を受けたそうです。
本堂は2003(平成15)年大修理が行われました。庫裏は幕末期の広島藩の隠れ城・志和の八条原城の文武塾講堂を移築したものだそうです。
  -八条原城のこと-
1868(慶応4)年戊辰戦争勃発に際し、広島藩は戦乱の拡大と、外国軍艦の干渉等不測の事態に備え、既に前(1867)年軍艦方木原秀三郎が神機隊頓営の地としていた(現在の東広島市)志和の地に、藩庁別館及び学寮兼兵営・練兵場を設営し、 非常時に対処することを決し、同(1868)年7月武具奉行高間多須衛を総監としてここ八条原に工事を開始。
世子浅野長勲(1842-1937)、前藩主浅野長訓(1812-1872)らも相次いで来村指揮しました。
そして志和への入口内村越・小原峠・御堂原・榎山峠・ 湯坂峠・関川の6箇所に柵門を設け、神機隊留守隊をもって守衛させ、その他の間道も一切封鎖し、志和盆地を一大要塞地帯としました。
一方、1869(明治2)年4月藩士子弟300人を選抜して学寮に入れ、文武塾を開校するなど活発に動 き始めていました。しかし、動乱は沈静化に向かい、同(1869)年12月築城工事は中止され、諸施設は解体払下げとなりました。
今のJR西条駅裏の教善寺庫裡はここの講堂を移築したものだそうです。
(ぼしんせんそう)
戊辰戦争:
1868(慶応4)年戊辰の年に始まり、維新政府軍と旧幕府側との間に16ヶ月余にわたって戦われた内戦。
正月の鳥羽伏見の戦いに勝利した政府軍は、4月江戸城を接収、上野にこもる彰義隊はじめ関東各地で旧幕府主戦派を討滅、奥羽越列藩同盟を結んで対抗する諸藩をも会津戦争を頂点に10月には帰順させた。翌(1869)年5月、最後の拠点箱館五稜郭を陥落させ、内戦は終結、明治絶対主義国家確立への途が開かれた。
西条駅裏にお寺があるなと思うだけで、お寺を訪ねたのは今回がはじめてでした。
室町時代(1336-1573)開基の古いお寺ですが、1864(元治元)年蛤御門からはじまる長州戦争から戊辰戦争そして明治維新につながる歴史がここにも遺されていることを知りました。
10.01.29裕・編集

09.11.28撮影
広島県東広島市西条町西条328-1

09.11.28撮影

09.11.28撮影

09.11.28撮影

09.11.28撮影

09.11.28撮影
嘉永六年癸丑(1853年)と刻まれている法燈 庫裏



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