(旧西国街道)四日市宿

  東広島市西条本町のJR西条駅前に設置されている「四日市宿の今むかし」という説明板です。
四日市宿の今むかし
西条盆地は、(広島)県内屈指の穀倉地帯で、三ッ城古墳や安芸国分寺が造営されるなど、古代安芸国の政治・経済・文化の中心地として早くから栄えました。
国府も此処の近くに位置していたと推定され、都と大宰府を結ぶ古代山陽道は、塔の岡あたりを通り、その西方に木綿駅家(ゆうのうまや)が置かれていました。
この地域は、高級品として広く知られた安芸木綿の産地で、地名も木綿郷(ゆうごう)とされています。
また中世には、東西条と呼ばれ、周防の守護大名大内氏の所領でした。大永3(1523)年に出雲尼子氏の攻撃を受けるまで鏡山城が芸備両国の政治拠点となっていました。
東広島市の中央、四日市次郎丸村は、天正年間(1573-1591)に市が起こったと伝わっています。
江戸初期に広島藩が西国街道の整備を行い、ここ四日市には、御茶屋と呼ばれる藩内最大の本陣・脇本陣が設けられるなど、宿場町・市場町として大いに賑わいました。
酒造りもこの頃から行われており、町中には延宝3(1675)年に建てられた酒蔵が伝存し、発掘調査により醸造遺構も明らかとなっています。
その後、近代には軟水醸造法が採用され、山陽鉄道の開通によって飛躍的な発展を遂げました。
現在では、わが国有数の名醸地の一つに数えられ、国際学術研究・先端技術開発の要地、東広島市の表玄関として伸暢の途にあります。
ジグザグになった道(やT字になった道)は、遠見遮断ともいい、戦いの時身を隠すのに都合がよいようにしたとか、大名行列が見える時間を短くする効果を狙ったなどいうものもあると聞きますが、(わが隣町の海田市宿で知ったのですが)商家の前に荷車が着けやすく交通の支障にならないようにしたものだったと・・・ここ四日市宿は極端なジグザグではないものの商家や酒蔵への荷物も多かったろうからと思いながら旧山陽道(西国街道)をみたのです。
10.01.28裕・編集

09.11.28撮影
東広島市西条本町附近 (説明板はJR駅前に設置されています)

09.11.28撮影

09.11.28撮影
今も残るジグザグになった道路

09.11.28撮影

09.11.28撮影
(西条四日市)本陣跡 四日市への道標が残されている現・酒泉館



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