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東広島市西条土与丸に建立されている「武田精華先生之碑」です |
武田精華先生は、1869(明治2)助實(すけざね)村に生まれました。幼少のころから勉学に励み水戸五洲に師事し和漢を学びました。黒瀬小学校の校長を経て、1891(明治24)年吉土實(よしとみ)尋常小学校の校長となりました当時の学校は民家を学校に充てていました※。
1901(明治34)年土与丸門前谷に新築移転されましたそれ以来1915(大正4)年まで24ヶ年間に門弟は3000有余人に及びました。
退職後朝鮮釜山府で書房を経営し日朝文化交流に寄与されました。1955(昭和30)年先生八十八歳・米寿をむかえられ敬慕の情如何ともしがたく、永くその徳を頌えるためにこの碑を建立しました。 |
昭和30(1955)年12月23日有志門弟建之 |
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1873(明治6)年助実村 教正寺に観国舎を、土与丸大林寺に振起館を設け簡易小学校としました。 |
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吉土実小学校は、西条小学校として、統合されるまで、小学校・広島陸軍被服支廠縫工部、敗戦後広島高等師範学校付属中学校舎、1947(昭和22)年西条町立吉土実小学校として復帰しました。その後、統合により廃校になり後に、今の吉土実保育所となりました。
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西条酒蔵通りのはずれ、賀茂鶴吉富蔵のところに来た時にこの石碑をみたので、近づいてみました。
池田勇人揮毫の石碑で武田精華先生之碑だなと思いましたがよくわからなかったので、以前西条酒蔵通りの頁を編集するときにいろいろと教えていただいた、西条の松浦氏に武田先生について、碑文で黒瀬校長、吉土実校長と刻んでありますが、学校とは?など教えていただきました。
上記は碑文そのままではなく(わたしが)解釈したように記述しましたので細かな間違いがあるかもしれません。 |
10.04.02裕・記編集 |