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広島県呉市で最初の(建築)設計事務所を開業した「豊田勉之」を取り上げました。 |
豊田勉之 (とよた べんじ:1891-1959) |
広島県呉市生まれ。広島一中から上京して東京中央工学校(1909年開校)で建築学を学ぶ。
帰郷後、1924(大正13)年呉市で最初の設計事務所を開業。
当時の呉銀行本店、呉商工会議所(いずれも今はない)を設計。
旧加茂郡西條町においては、賀茂鶴酒造の本社社屋。次に醸造支場(現在の酒泉館)の建物を設計しました。 |
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旧・県立酒醸造支場は、現在賀茂泉の「酒泉館」となっており、1階の1室が資料室となっており、この建物の設計者の紹介パネルがあったのです。呉出身の豊田勉之設計と知り、読むと、賀茂鶴酒造株式會社本店も設計している事も知りました。
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2004年に撮影し頁にしていた旧・醸造支場でした。それ以後何度か訪れていましたが、設計者に関してはわからなかったのです。
今(2010)年資料室をじっくり拝見させていただいた時にこの建物の設計者の紹介パネルがあったのでわかったのです。いままで何を見学させていただいたのかと思いながらこの頁を編集しました。 |
2015年暮れも押し迫った25日中國新聞に「被爆建物だった“旧広島銀行銀山支店”の設計者だったとして豊田勉之を取り上げた記事を見ましたので追記しました。
豊田のことを調べていた岡山理大准教授が豊田の履歴書に『呉銀行及廣島合同貯(蓄)銀行ノ嘱託技師トナリ両行ノ本店及支店ヲ建之ス』などの記述を見つけたことで旧広島銀行銀山支店の設計者として紹介する記事でした。
建築設計総合監理の技師として地元建築家を嘱託したのかもしれませんので、履歴書記述即設計者と云っていいのかとも(わたしは)思ったのですが。 |
関連頁:旧・広島合同貯蓄銀行 |
15.12.28.更新 10.04.27裕・編集 |