(小谷村・戦没者)慰霊碑

  東広島市高屋町小谷に建立されている「(小谷村・戦没者)慰霊碑」です。
     (正面)慰霊碑 宇垣一成題  
     (裏面)碑文・戦没者氏名  
     (側面)
昭和三十年五月 小谷村建之
『・・・・昭和12(1937)年7月7日大東亜戦争が勃発するや諸士は一身一家を顧みず召されて勇躍征途につき各地に転戦亦転戦数々の武勲を樹てられ遂に護国の華と散花せらる誰かこの至純なる精神崇高なる武勲に感謝敬仰の念を抱かずや
昭和20(1945)年8月15日終戦を迎え連合国の管理下にあり諸士の武勲を讃えることすら禁じられるの■■に接した而も漸く平和条約の締結とともに遺家族援護の方途も講じられ諸君の築き精神は民主日本建設の礎として不滅の光を放たん 今日永年の歴史と伝統を有する小谷村は国策に則り賀茂郡高屋村と合併をするに当り■に村会の議決を以て諸士の鎮魂を・・・・・その霊を慰めんとす・・・
                昭和30(1955)年3月30日 豊田郡■■■組合長■■■』
1954(昭和29)年3月31日西高屋村と東高屋村が合併して高屋村となりました。
1955(昭和30)年3月31日(賀茂郡)高屋村が豊田郡小谷村を編入し、高屋町となりました。
1974(昭和49)年4月20日 (賀茂郡)西条町・志和町・高屋町・八本松町が合併し東広島市となりました。
白市駅から少し福山方面に行ったところ(山陽本線沿い)にこの慰霊碑が建立されています。
何度か(走る)電車の中からみて慰霊碑だなと分かったので、機会あったら見に行かなくてはと思っていたのです。2010年5月になりましたが、竹林寺に行く途中立ち寄ってみました。刻まれた碑文が薄くなって(出だし部分を含め、わたしには)正確には読めなかったのです。
(わたしが分かった部分の)碑文から第二次世界大戦での戦没者慰霊碑ということが分かりました。碑文下に亡くなった方々の階級お名前が刻まれていました。そして、その最後に挺身隊・女性の名前5名が刻まれているようでした。
揮毫した宇垣一成は参議院議員であった宇垣かとも思うのですが、経歴をみると1953(昭和28)年第3回参院選挙中に病気で倒れたそうですし、岡山県出身の宇垣と小谷村の接点が(わたしには)分かりませんので、確証はありません。小谷村に縁ある同姓同名の人物かもしれませんが、宇垣一成を辞書で調べてみました。
10.06.25裕・記編集

10.05.05撮影
広島県東広島市高屋町小谷3464

10.05.05撮影

10.05.05撮影
うがきかずしげ
宇垣一成
1868-1956
陸軍軍人政治家。岡山県生まれ。大将。清浦内閣などの陸相を務め、軍縮と軍の近代化を行なった。1937(昭和12)年陸軍内部の反対で組閣に失敗。
1945(昭和20)年太平洋戦争終結後・公職追放、1952(昭和27)年公職復帰。1953(昭和28)年第3回参院選挙全国区当選。



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