(竹林寺の)十王堂
  東広島市河内町入野の竹林寺の「十王堂」を取り上げました。
竹林寺は、真言宗御室派のお寺で、御本尊は千手観音菩薩です。
縁起は、730(天平2)年行基菩薩(668-749)の開創と伝えられています。802(延暦21)年山麓に八千代という女、子無きを嘆き千日参詣の願をかけ、満願の日の夜半お堂の中から童子が現れ五色の玉を彼女に授けた。一年後八千代は、男子を出産しました、この子が自ら「吾れはこれ篁なり」と名乗ったのです。
この子は後に、小野篁となり、没後百年、再びこの世に生まれ僧となって、郷里の竹林寺で冥途の十王尊像の内九体を刻み※、残り一体は自ら生身の仏となられたそうです。その時から寺号も「篁山竹林寺」と改められました。
※地蔵菩薩像一体・地蔵十王像九体・山神像一体を造立して、観音の傍らに安置したそうです。
本堂の並び右手に建立されています。文化財に指定されていないからか、屋根は鉄板で覆っていますので、ぱっとみ手入れがなされているように見えましたが下地に当る屋根のゆがみが出た事で鉄板で覆うという修理がなされたのだろうと思い。内部には木造の十体の王像が安置されています。
2011年7月22日中國新聞報道で、十王堂は東広島市重要文化財に指定されていることがわかりました。
『十王堂は、17世紀中期の建立と推定され、幅:≒8.4m、奥行:≒7.0m、高さ:≒8.0m。
屋根は。トチ葺きの上に茅葺を重ね、鉄板で覆ってある。』ことも併せて(わたしは)知りました。
『7月20日午後9時ごろ台風6号の強風で、十王堂根際の約20mのエノキが倒れ、東側の屋根を覆う鉄板の一部が剥がれ、軒が崩れ落ち、屋根全体も傾き、東側に隣接する渡り廊下がほぼ全壊しました。お堂の中の十四体の仏像は無事でした。東広島市教育委員会は、来週にも雨漏り防止の応急手当のシートを掛け、修復の方法をお寺と検討することになっている。』と報道していました。
十王とは、秦広王(しんこうおう)、 初江王(しょこうおう)、 宋帝王(そうていおう)、 五官王(ごかんおう)、 閻魔王(えんまおう)、変成王(へんじょうおう)、泰山王(たいざんおう)、 平等王(びょうどうおう)、 都市王(としおう)、 五道転輪王(ごどうてんりんおう)
十王堂の中を拝見(覗き込みましたが)わたしにはどの像が十王のどの王に当るのか分かりませし、即身仏になったと伝えられる一体がどの像かも分かりませんでした。撮影は、正面から見える範囲でしました。
観音菩薩の前が閻魔大王かなその左・根際の小さな像が(名札板から)山神かなという程度しか分かりませんでした。
河内町は、2005(平成17)年2月7日賀茂郡黒瀬町・豊栄町・福富町などとともに東広島市に編入されました。 11.07.22追記  10.07.16裕・記編集

10.05.05撮影
東広島市河内町入野3103 竹林寺・十王堂

10.05.05撮影

10.05.05撮影

10.05.05撮影
えんま
閻魔
〔仏教〕 亡者の罪に判決を下すという地獄の王。笏(しやく)を持ち、中国の道服を着、怒りの相をあらわした姿で描かれる。もとインド神話中の神で、祖霊の王。焔摩。閻魔羅闍(らじや)。



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