(竹林寺の)阿弥陀仏像
  東広島市河内町入野の竹林寺に建立されている「阿弥陀仏像」を取り上げました。
              銅像建設由来(碑)
篁山竹林寺は、天平二(702)年行基菩薩の開創と伝えられている、藝州の古刹でしたが、明治維新後荒廃し、殊に三重塔は全く荒廃し、塔内の本尊阿彌陀佛亦大破に及んでいました。
これを榮祐上人嘆かれ、檀信徒と圖り、發起人・建設委員若干名を選び一致して地方善男善女の浄財を受け新たに高さ一丈二尺の阿彌陀佛銅像と九尺の石薹を造り、其塔跡に安置して、盛大な開眼供養の法會を営みました。
時は大正十五(1926)年*五月十五日でした。上人は遷化されていましたので、建像の由来と上人發願の功績、並びに此の善業を援助した發起人、建設委員の功績を石に刻して之を後世に傳えます。
             發起人三■■蔵次 戊辰■春(昭和3年=1928年春)
上記碑文は、碑文のままではありません、わたしがそうかなと理解した文になっています。
碑文を読むと大正13年とも読めるようなのですが、三重塔を藤田が購入したのが大正14年だそうですので、大正15年と読むのが正解かなと(わたしは)思いました。
三重塔は、大正年間強風で、三層目が大破。奈良の骨董商を通じて、1925(大正14)年藤田平太郎(藤田財閥二代目・男爵:1869-1940)が購入。移築にあたり三層目は新造されたと云われています。
塔が移築された椿山荘は、1878(明治11)年山県有朋(1838-1922)が土地を購入、1918(大正7)年藤田平太郎が譲受け、増築・庭の手入や文化財の購入・配置を行ったが、1945(昭和20)年空襲で焼失(三重塔は焼失を 免れる)、荒廃した。その後、小川栄一(藤田観光創始者:1899-1978)が、1948(昭和23)年から整備し、林泉回遊式庭園の椿山荘として復活、三重塔も健在のようです。
三重の塔跡と標識が建っていましたので、落雷焼失か強風による倒壊かなと思ったのですが、帰宅後三重塔は藤田が買い椿山荘に移築されいまも健在な事を知りました。
銅像建設由来碑を読むと、明治以後お寺が荒廃し、檀家や信徒の浄財を集めたと刻まれていましたが、(三重塔売却金も)再建の基金にも当てられたのだろうと思いました。
河内町は、2005(平成17)年2月7日賀茂郡黒瀬町・豊栄町・福富町などとともに東広島市に編入されました。 10.07.22裕・記編集

10.05.05撮影
東広島市河内町入野 3103  (竹林寺境内)

10.05.05撮影

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銅像建設由来・碑 銅佛建設紀念碑
敬称は略しています



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