教育碑 (檜高憲三先生碑)

  東広島市西条町西条の御建公園に建立されている「教育碑 (檜高憲三先生碑)」です。
檜高憲三先生は、大正6(1917)年広島県師範学校卒業後直ちに西條尋常高等小学校訓導として三ヶ年奉職されました。
大正12(1923)年少壮26歳で同校校長に抜擢され昭和21(1946)年勇退されるまで前後実に二十有六年西條児童の教育一筋に身命を捧げられました。
「何事も自ら進んで正しく強く優しく永くやります」との校訓のもと提唱実践された「独創教育」は先生一生の理想であり、世人敬仰の的となりました。
昭和41(1966)年68歳で急逝されるまで、終始教育への熱情を以って貫かれました。
昭和41(1966)年11月3日建立 旧制西條小学校同窓会、西条教育同人会、檜高教育を讃える会
(くんどう)
訓導:
2)旧制小学校の正規の教員の称。現在の、教諭に当たる。
1)〔古くは「きんどう」ともいい〕教えみちびくこと。教導。
(もりとたつお9
森戸辰男:
(1888-1984)
社会学者政治家。広島県・福山市生まれ。東京帝国大学法科大学経済学科卒業。
東大経済学部助教授の職にあった1920(大正9)年論文「クロポトキンの社会思想の研究」が危険思想とされて下獄、大学も追われた(森戸事件)。第二次大戦後、日本社会党入党、946(昭和21)年旧広島3区(戦後初の)衆議院議員総選挙当選。1947(昭和22)年6月片山芦田両内閣の文部大臣。1950(昭和25)年初代広島大学学長。1971(昭和46)年文化功労者。
(とうごうへいはちろう)
東郷平八郎:
(1848-1934)
海軍軍人。大将元帥。薩摩の人。
日露戦争の際、連合艦隊司令長官として日本海海戦を指揮、バルチック艦隊を破った。ロンドン軍縮条約では締結に強硬に反対。
西条駅裏の御建神社参道根際に建立されている圓鍔勝三作:木村翁銅像をみた後、横の公園をみると石碑が建立されていました。近づいてみると教育碑でした。後ろに回ると昭和41(1966)年建立の碑でしたが、森戸辰男揮毫の碑で、独創という字は東郷平八郎書でしたので撮影しました。
10.05.22裕・記編集

09.11.05撮影
広島県東広島市西条町西条268 (御建公園)

10.05.05撮影

10.05.05撮影



「その他」編
(広島ゆかりの人物関連碑など)



広島ぶらり散歩
御建神社
 圓鍔勝三作:木村静彦翁銅像
教育碑(檜高憲三先生碑)


「東広島市」編





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