呉市上水道竣功記念碑

  東広島市西条町下三永の“三永水源地”に建立されている「呉市上水道竣工記念碑」です。
※碑銘は“竣功”を使っているようですが、現在では功ある出来上がりが出来ないない?からか一般的には「竣工」を使っています。
1914(大正3)年「水道布設計画案」の一部変更の可決を経て、1915(大正4)年3月2日水道布設工事費に充当する104万2千円の呉市水道公債条例認可となり財源措置確定後の3月8日から浄水場用地買収の交渉を開始。
3月9日内務大臣の水道布設工事の認可とともに27万円の国庫補助指令、5月12日広島県知事から15万円の県費補助指令を受け、同(大正4)年7月12日平原浄水場用地において地鎮祭を挙行、呉市水道布設工事を起工。
工事は折からの欧州動乱の影響を受け、資材不足等に悩まされたものの、関係者の努力によって約2年8ヶ月後に施工、1918(大正7)年4月1日から呉市民へ給水を開始。
三永貯水池は、1938(昭和13)年11月から1943昭和18)年3月にかけて、呉市水道第二期拡張事業として呉市が築造しました。貯水量は約264万m3です。この水は、石内浄水場、平原浄水場に導水し(呉)市民に給水されるほか、工業用水としても活用されています。
碑銘は、(写した画像を拡大してみて)呉市上水道竣功記念碑で間違いないと思うのですが、立入禁止になっていますので近づいて碑裏に刻まれた文字などが見れませんので竣功年月日が(わたしには)確認できませんので、この三永水源地堰堤竣功を指しているならば昭和18(1943)年であろうし、(呉市の上水道の給水を記念してわざわざこの地に建立されたと仮定した時は大正7年4月かなとも思いますが)まず昭和18(1943)年3月と思っていますが。
4月に三永水源地堰堤の向うに石碑が建っているのが見えました、何だろうと思ったのです。堰堤工事中殉職された方々の慰霊の碑かなとも思っていたのですが、堰堤には立入禁止でしたのでよくわからなかったのです。
5月16日フジを見に来た時、わたしのデジカメ能力いっぱいにズームで写しました。碑の側面が写る位置で正面からは写すことはできませんでしたが、拡大してみて碑銘だけは分かったのですが、碑銘ではいまひとつ建立の理由がはっきりとは分かりませんでしたが、この三永水源地の竣功を記念した碑というのが順当ではと思ってこの頁を編集しました。
10.05.24裕・記編集

10.05.16撮影
東広島市西条町下三永331

10.05.16撮影

10.05.16撮影



「その他」編



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三永水源地堰堤
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「東広島市」編





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