(麦田八幡神社境内の)縁結び地蔵、お助け地蔵

  安佐南区大町西の麦田八幡神社境内に祀られている「縁結び地蔵、お助け地蔵」です。
      縁結び地蔵尊の由来
縁結び地蔵尊は、1580(天正8)年ころよりこの土地の人々に尊敬され親しまれてきたと伝えられています。当時、結婚式当日地域で選ばれた二人の若者が三々九度の盃の最中、新郎新婦の前にこの地蔵尊を運び、手拭で顔を隠し「おめでとうございます、末永く幸せになって下さい」と云って地蔵尊を据え置きその式場を立ち退くという習慣がこの地方に受け伝えられ1950年頃まで執り行われていました。
      お助け地蔵尊の由来
麦田山八幡神社裏路は各地への主要道路の分岐点にあたり、東は備前・備中・備後路へ、西は周防の山口・津和野方面へ、南は海上を利用し九州路へ、北は出雲・山陰路への別れの道となり行き交う人々が多かったと云われています。
地の人々、通行する人々の中には病気などで倒れた者も多く、それらの人々を救ってくださった当時の善導法師(と云っていた僧侶)が後年亡くなられた時に住民が手厚く葬り、山裾に地蔵尊をお祀りしました。このお地蔵さまを誰云うとなくお助け地蔵尊と云い、伝えられてきました。
上記のそれぞれの由来は、(わたしが勝手に)要約した文章になっています
安佐南区区政振興課発行「あさみなみ散策マップ:安川ルート」にも簡単に紹介がありましたので、見逃さずにお参りしようと思っていましたが、麦田神社社殿に上がる石段の根際にお堂があり、1983(昭和58)年建立されたという由来板が目にとまりました。
麦田神社社殿に上がる石段を挟んで左側にフェンスに囲まれた小さな石作りの祠のようなものがありました。下の方に小さな開口部があり除きこんだのですが、お地蔵さまかなと思いましたが、詳しいことは分かりませんでした。
10.10.29.裕・記編集

10.09.09撮影
広島市安佐南区大町西3-13-32 (麦田八幡神社)

10.09.09撮影
(説明板の並びから)お助け地蔵尊と縁結び地蔵(かなと思いました)

10.09.09撮影

10.09.09撮影
石の祠?

10.09.09撮影



広島の神社寺院」編



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(大町)麦田神社
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  (境内の)縁結び地蔵、お助け地蔵


「旧安古市町」編





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